2009年02月22日

谷垣元財務相が代表質問 党内からは「谷垣首相」期待の声も

“ポスト麻生”をめぐり、谷垣グループの議員たちも遅れを取らないよう必死だ。

<川崎二郎元厚労相>「谷垣首相」に期待感示す

20090206_s_tanigaki.jpg(C)ロイター

 「谷垣禎一元国土交通相には選挙より、自民党総裁選を頭の中においてもらわなければいけない」−−自民党の川崎二郎元厚生労働相は20日夜、東京都内で開いた自身のパーティーで講演し、「ポスト麻生」をにらみ、同じ古賀派に所属する谷垣氏に総裁選出馬への準備を始めるよう促した。谷垣氏は06年総裁選に出馬し、安倍晋三元首相に敗れている。

 川崎氏は自民党内で麻生政権への不信感が強まっていることを指摘。「なるべく早く、その日が来ることを期待したい」と、「谷垣首相」への期待感を示した。【三沢耕平】

(21日、毎日新聞)

16日、自民党の古賀誠選対委員長は名古屋市内で開かれたパーティーであいさつし、郵政民営化などに関連して麻生太郎首相を批判した小泉純一郎元首相について「『真っ正面から鉄砲を撃った』と煽る人がいたが、まるで至近距離から鉄砲を撃ったようなものだ」と強い口調で批判した。
同席した谷垣禎一元財務相(前党政調会長)も「麻生首相の下で結束すべきで、小泉元首相といえども発言には注意してもらいたい」と述べた。
平成20年10〜12月期の国内総生産(GDP)速報値が年率換算で12.7%減になったことに関しては、谷垣氏は「非常に深刻な数字」と話した。

20日午後の衆院予算委員会では、代表質問に立った谷垣氏から、麻生首相に対して苦言が呈された。
谷垣氏は「内閣の中にも若干、気の緩みがあるのではないか、こう思われることがございましたし、また、政権を支えて頑張らなくてはならない与党の中にも、若干、不協和音があるのが現状であります」と述べた。
これに対し、麻生首相は「まずは景気回復。私どもは、この一点に絞って今後、懸命に努力をしていかなければならない」と応じた。
この日の予算委員会では、谷垣氏が「麻生総理のふるまいは、100年後であろうと、必ずあの時、日本の政治がどうだったのかと。一番問われるのは総理ご本人だと思います」と強調する場面もみられた。

そんな中、旧谷垣派(現古賀派)幹部であり谷垣氏の側近である川崎二郎元厚労相が、20日夜開いた自身のパーティーで「谷垣首相」への期待感を示した。
谷垣氏は2006年総裁選に出馬したが、この時は安倍晋三元首相に破れた。このときの推薦人は、園田博之政調会長代理や後藤田正純衆院議員など、現在、与謝野馨財務・金融担当・経財担当相の支持層と一致している。
2006年総裁選で谷垣氏が政権公約として強調したのは、次の3点に絞られる。
・財政再建
・対アジア外交活性化
・“絆”あふれる地域コミュニティの復活


次の総裁選がいつ行われるかは分からないが、“ポスト麻生”をめぐって党内ではすでに何人かの議員の名前が挙がっており、谷垣氏もこの中に含まれる。
ちなみに、他に名前が挙がっていて、かつ有力視されている“ポスト麻生候補”候補は、与謝野氏、石原伸晃元政調会長、小池百合子元防衛相など。中川秀直元幹事長も、出馬に含みを持たせた発言をしている。
私個人としては、野田聖子消費者相の閣議後会見をいつも面白いと思っているので、これを今後もう少し見てみたいなとは思っている。野田氏のことを、私はかつてこのブログで厳しく非難したが、現時点では“野田アレルギー”は皆無だ。

早くも、“ポスト麻生”をめぐって錯綜を始めた自民党内の動き。
そんな中、昨日(20日)行われた谷垣氏による代表質問は、「コップの中の争いごと」をしている場合ではないという危機意識を強調したものだったといえよう。
自民党は一度支えると決めた総理のことでゴタゴタしている時ではないし、小泉元首相の“欠席”発言などという次元の低いものに影響を受けている場合でもない。
選挙に向けたパフォーマンスや政局劇なんかいらないのであって、もっと“当たり前”の政治を実現してほしい、というのが国民の共通意識ではないか。

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2009年02月14日

“小泉発言”に永田町が衝撃 …しかしすべてはシナリオ通り?

小泉元首相の発言に、あれほど森元首相が不快感を示している理由とは?

<小泉発言>古賀誠氏が批判 山崎拓氏は「大勢に影響せず」

 自民党の古賀誠選対委員長は14日、小泉純一郎元首相が定額給付金の財源を確保する08年度第2次補正予算関連法案の衆院再可決に疑問を示したことについて「再可決は党の機関決定を経ている。首相まで経験した方が、政権の足を引っ張る印象を与えるのは慎むべきだ」と批判した。福岡市内で開かれた党福岡県連大会後、記者団の質問に答えた。

 一方、小泉政権当時、党幹事長を務めた自民党の山崎拓前副総裁は、県連大会のあいさつで「郵政民営化という政治課題について、小泉氏の信念を述べたもので、政権批判ではない」と指摘。記者団には「小泉氏本人の採決反対は100%ない。消極的な欠席はあり得るが、大勢に影響しない」と述べ、造反の動きは広がらないとの見方を示した。【田所柳子】

(14日、毎日新聞)

<小泉発言>町村信孝氏も批判 「場違いなタイミング」

 自民党町村派会長の町村信孝前官房長官は14日、北海道江別市で記者団に対し、小泉純一郎元首相の発言について「国会情勢が分かっていないから、場違いなタイミングで発言してしまったのではないか」と批判した。これに先立つ会合では「小泉さんが言ったからといって以前賛成したものに反対する議員はいない。方々手を打っている」と述べ、再可決の際に与党からの造反はほとんどないとの見方を示した。【鈴木勝一】

(14日、毎日新聞)

12日、自民党本部で「郵政民営化を堅持し推進する集い」が開かれ、小泉純一郎元首相や武部勤元幹事長、中川秀直元幹事長、小池百合子元防衛相らが出席した。
この会合で小泉氏は、麻生太郎首相の“郵政民営化見直し”発言について「怒るというよりも笑っちゃうぐらい、もう、ただただあきれている」と厳しく麻生政権を批判した。
定額給付金についても「私は本当にこの法案(補正予算関連法案)が(衆院の)3分の2を使ってでも成立させねばならない法案だとは思っていないんです」と、事実上反対する姿勢を打ち出した。
首相のリーダーシップについては「政治で力を得るには信頼だ。特に首相、首相の発言に信頼がなければ戦えない」と発言した。

この衝撃の“小泉発言”を受け、麻生内閣の河村建夫官房長官は「厳しいお灸を据えられた」「しつけをするとき、殺す気で殴る親はいない」と述べ、小泉氏の首相批判は「親心」との見方を披露。「拳々服膺(ふくよう)しながら難局を乗り切るのが首相の使命だ」と語った。
二階俊博経産相は「群を抜いて存在感と影響力を持つ政治家だ。小泉氏の言うことには慎重に、謙虚に耳を傾ける態度が必要だ」と述べた。
定額給付金に関する小泉発言に対して、麻生首相に近い中川昭一財務相は「一旦(小泉氏も)賛成し、党で決定したものを、今頃反対だと、首相までされた方が言うのは理解に苦しむ」と批判。
野田聖子消費者行政担当相も「最初の採決の時に言ってほしかった」と苦言を呈し、金子一義国交相も「一歩踏み込み過ぎた」と強調した。 

私個人の意見としては、このブログなどで「定額給付金は最大の景気対策だ」などと持ち上げた手前、中川財務相や野田消費者相の発言に賛同する。
中川秀直氏が言うように、政権に注文をつけたり意見を申したりするのは、なんら悪いことではない。なんら悪いことではないが、それは政策決定の過程における話であって、一度、党で決定されたものを「私は本来はこの法案に反対だった」などと言うのは、筋の違う話だろう。

“小泉発言”は、小泉氏による公の場で初めての「@麻生政権批判」と「A定額給付金批判」があったという意味で二重の衝撃を持つものだが、今回の“小泉発言”の引き金を抜いたのは、麻生首相自身である。
麻生首相は、衆院予算委員会で、郵政民営化における郵政公社の4分社化について「私はもともと小泉内閣において郵政民営化に賛成ではありませんでしたので」などと発言した。
小泉氏にとって、郵政民営化は自身の人生における最重要課題である。議員初当選以来、全神経を「郵政民営化」の5文字に注いできたといっても過言ではない。

その郵政民営化に茶々をつけられたというのは、小泉氏にとって気分のよい話ではなかっただろう。
麻生発言は、小泉氏の一番触れてはいけない部分に触れてしまったといえる。TBSの記者などは「麻生発言は、龍の尾ならぬ“小泉ライオンの尻尾”を踏んでしまった」と話している。
小泉氏による定額給付金批判発言についても、これは「麻生憎し」の延長線上に過ぎず、麻生政権に対する「批判のための批判」である。この点、小泉氏は民主党と同等であるといえよう。

ただ、もちろん留意しておきたいのは、政治家の言葉には必ず裏の意味があるということである。
ましてや小泉氏は、2001年党総裁選で「自民党をぶっ壊す」と公言し、下馬評を覆して総裁の座を獲得した人物だ。
2005年には「郵政民営化」というワン・テーマのみで、史上稀にみる選挙戦術を駆使し、「郵政総選挙」にて自民党を大勝に導いた。
小泉氏の発言やパフォーマンスは「ワンフレーズ・ポリティクス」などと揶揄されたが、小泉氏が戦後第3位の長期に渡り、総理の座を維持し続けたのは、ひとえに小泉氏の“発言力”があったからだ。
小泉改革に批判をする方々も、小泉氏が言葉を巧みに使い分けすることのできる政治家であることに異論はないだろう。

今回の“小泉発言”は、実は麻生首相との裏のつながりがあった上での、シナリオ通りの発言だという推測もできる。小泉氏があえて麻生首相の敵役となり、自民党内での攻防をそのまま衆院選に持ち込もうというシナリオだ。
これは前回衆院選(2005年)と同じパターンで、この時は党内の郵政民営化推進派(「刺客」)と反対派(「抵抗勢力」)の争いを前面に押し出すことによって、民主党など他の野党の存在感を埋没させた。
民主党は“蚊帳の外”に追いやられ、自民党による自民党のための総選挙が展開された。「自民党をぶっ壊す」と公約した小泉氏は、実は自民党の救世主だったのである。

もちろん過度な妄想は厳禁だが、“小泉発言”の背景にこうした思惑が隠れているとしてもおかしくはない。むしろ、当選回数12回のベテラン議員が、自身の感情の赴くままにだけ発言していると考えるほうがおかしいだろう。
“小泉発言”を受けての古賀誠選対委員長、山崎拓前副総裁の反応も、すべて想定の範囲内である。
ただし、麻生首相に近い森喜朗元首相が、今回の“小泉発言”に不快感を表明しているのは、ただの演技だけではなく、自身を抜きにして「小泉―麻生」間で党内政局が運営されていること――すなわち、党内“キング・メーカー”の座が自身から小泉氏に勝手に移ろうとしていることに対する怒りがあるからかもしれない。

きょう(14日)午前、その小泉氏は成田発の日航機でモスクワに向け出発した。これは、顧問を務める民間シンクタンク「国際公共政策研究センター」による派遣だ。
ロシア政府やシンクタンク、現地企業関係者らと日露関係をめぐり非公式に意見交換し、20日に帰国する予定である。
「立つライオン後を濁す」の形で日本から去り、さらに次期衆院選では政界から去る小泉氏だが、まだまだ小泉氏による「自民党演出」はありそうだ。小泉氏と麻生首相のダブル主演による“小泉劇場”が再び幕開けするかもしれない。

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2009年02月08日

第一目的は「中川外し」 町村派“お家騒動”の裏側が明らかに

森氏にとって町村氏は一つのカードにすぎず、町村氏を会長にする積極的理由はなかった。

自民町村派 勝者なき抗争 集団指導体制解消

20090207__group_of_machimura.jpg(C)毎日新聞

 自民党町村派内の対立は、町村信孝前官房長官や中川秀直元幹事長らによる集団指導体制を見直し、町村氏の会長昇格で決着した。森、小泉、安倍、福田と4代続けて首相を輩出し、衆参議員89人を擁する最大派閥の揺らぎ。その背景を検証する。【犬飼直幸、高山祐、近藤大介】

【関連記事】自民党:町村氏派閥会長に復帰…中堅・若手の反発根深く

 「いずれ中川は再び動き出すぞ。今やっておいた方がいい」

 今月2日夜、東京・赤坂のホテル。町村派最高顧問の森喜朗元首相は、町村氏と同派相談役の安倍晋三元首相に、派閥人事の見直しを迫った。混乱を懸念する町村氏らは当初、慎重だった。安倍氏は「中堅・若手には、衆院選まで体制を変えない方がいいとの空気が強い」と伝えたが、森氏は自らの派閥退会まで持ち出し、人事断行の決意を示した。森氏は翌3日に福田康夫前首相、4日には町村、中川両氏とともに代表世話人を務める谷川秀善参院議員らと相次いで会談。主要幹部に根回ししたうえで、森氏は中川氏にも会談を申し入れたが、中川氏は応じなかった。派閥総会が開かれた5日、町村氏は総会前に森氏に電話し「中川氏と会ってから人事案を示した方がいい」と再考を促したが、森氏は「あいつは面会を拒否した。今日の総会で言う」と押し切った。

   ■  ■

 森氏と中川氏の間にすき間風が吹き始めたのは昨年夏。中川氏が衆院選後の政界再編をにらみ、「派中派」の動きを強めたことがきっかけだった。経済成長と財政再建を優先する「上げ潮路線」の勉強会を、中川氏は派内に発足させた。

 森氏の「あまり派手にやらない方がいい」との忠告に、中川氏は打ち明けた。

 「民主党の前原誠司前代表や野田佳彦元国対委員長らと話はついている。上げ潮路線の政策なら、彼らとブリッジ(橋)を架ける新党を作れる」

 選挙結果次第では自民党を割り、新党結成に動くのでは−−。中川氏が漏らした新党構想に、森氏は警戒感を強めた。

 昨年9月の自民党総裁選で、中川氏は小池百合子元防衛相を擁立し、麻生太郎首相支持の森氏との対立は決定的となった。総裁選後、派閥事務所で向き合った中川氏と森氏との間で、こんなやりとりがあった。

 中川氏「一つの会社(派閥)に、3人社長がいるのはおかしいとみんな言っています」

 森氏「誰が言ってるんだ。名前を挙げろ」

 町村派から中川派への代替わりを画策した中川氏の言葉を逆手に取り、森氏は実は昨年末、中川氏を派の顧問に格下げする人事案を作成していた。安倍氏が難色を示したため見送られたが、今年に入り、中川氏が消費税増税問題で麻生政権への批判を強めると、森氏は周囲に「あの時にやっておけばよかった」と悔いを漏らした。

   ■  ■

 派閥総会を翌日に控えた今月4日、町村派の中山泰秀衆院議員から電話で「森さんと会って、手打ちした方がいい」と説得を受けた中川氏は「政策の話をしているだけで、悪いことはしていない」と拒否。森氏も、自重を促す自民党の青木幹雄前参院議員会長(津島派)に「あなたの言うことでも、それだけは聞けない」と断った。

 5日の町村派総会。マイクを握り、中川氏を糾弾する森氏の隣で、中川氏は厳しい表情で黙り込んだ。代表世話人にはとどまったものの降格人事により、中川氏の影響力低下は避けられない。中川氏が連携相手と見た民主党幹部は今、「私は政権交代論者で、政界再編論者ではない」(野田氏)、「全く事実無根」(前原氏)と距離を置く。

 安倍氏は6日、首相官邸を訪ね、麻生首相に町村派の新体制を報告した。かねて最大派閥の政権支援に期待してきた首相は「落ち着いて良かった」と笑顔を見せた。ただ、総会では中堅・若手から異論が相次ぎ、派に君臨してきた森氏の求心力低下も印象づける。2時間以上の総会で、町村氏を評価する意見は出なかった。勝者なき派内抗争。最大派閥の揺らぎは続く。

(7日、毎日新聞)

きょう(7日)の毎日新聞に、自民党・町村派で「町村信孝会長」体制が復帰したことについて、その内幕が書かれている。
上に掲げた記事がそれだが、森喜朗元首相が「町村会長」復帰と「中川外し」に固執したこと、安倍晋三元首相が派閥分裂に危機意識を抱いていること、そして中川秀直元幹事長が派内の若手・中堅から支持を得ている一方、民主党の「政界再編」論者からは距離を置かれていること、などが読み取れる。

通常は1時間程度で終了する町村派の総会だが、今回の総会は2時間以上を要した。
町村氏が森氏の「中川外し」を傍目から静観し続け(町村氏としてはそうする以外になかったのかもしれないが)、森氏も「中川外し」のために町村氏というカードを使用した。
そこに、町村氏が会長になるための積極的理由はなく、あくまでも森氏は「中川外し」をしたかっただけという印象を強く受ける。
なお、あえて言うまでもないが、谷川秀善参院議員が町村派の代表世話人であるのは、町村派トップ人事が政局的な意味合いを持つのを薄めるためである。俗な言い方をすれば「名誉職」ということだ。

昨日(6日)の『NEWS23』では、後藤謙次キャスターが「もともと、町村派の体制を整えることは、麻生首相が森氏に依頼した。しかし、逆に森氏がやりすぎてゴタゴタが生じてしまっては、麻生首相としては“ありがた迷惑”な話だろう」と解説していた。


さて国会は、麻生太郎首相の「郵政民営化には賛成ではなかった」発言で紛糾している。
麻生首相は、郵政民営化に伴う日本郵政グループの4分社化体制の見直しに言及した。現在「郵政民営化に反対」であるというわけではない。
自民党内では民営化推進派が反発する一方、慎重派は勢いづいている。

6日夜、麻生首相は首相官邸で記者団に、4分社化見直しについて「利用している人の利便性、経営の効率性の二つを考える。当然のことだ」と述べ、分社のあり方を含めて議論していくべきだとの考えを改めて示した。
政府では郵政民営化委員会が見直し議論の作業を進めており、自民党もプロジェクトチーム(中谷元座長)を設置して検討。政府と自民党の見直し議論自体は、3月末に決着が出る。

党関係者によると、5日、小泉純一郎元首相は町村派議員に電話し、「麻生氏は郵政民営化に反対していなかった。反対なら(小泉内閣で)総務相をやっているわけがない」と語ったという。
「郵政総選挙」(2005年)当時、幹事長だった武部勤党改革実行本部長も「(麻生首相の発言は)非常に不見識と言わざるを得ない」と指摘した。
「郵政総選挙」で初当選した“小泉チルドレン”らで作る「国民視点の政策を実現する会」が6日に開いた会合では、「首相は慎重に発言してほしい」などの声が相次いだ。
これに対し、民営化慎重派からは「党のPT(プロジェクトチーム)で4分社化も含めてもう一度、議論すべきではないか」との意見が出ている。


――6日、ロイター電子版に「インタビュー:G7で保護主義防止にメッセージを=谷垣元財務相」という谷垣禎一元財務相(元政調会長)へのインタビュー記事が掲載された。こちらは明日以降、詳述したい。
なお、TBS報道番組の行方についても、三雲孝江キャスターの気になる動向についても、今後エントリを書くつもりなので、お楽しみに。


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2009年02月05日

町村派「町村会長」で再始動  古賀派・麻生派は10年ぶりの急接近

自民党内3つの派閥で起きた、「2つの気になる動き」。特に中川氏の行動には要注目だ。

会長に町村氏=中川秀氏は代表世話人続投−自民・町村派

 自民党町村派は5日の総会で、3人の代表世話人による集団指導体制を改め、町村信孝前官房長官を会長に充てることを決めた。最高顧問の森喜朗元首相が提案し、了承された。中川秀直元幹事長、谷川秀善参院議員は代表世話人を続投する。最大派閥(89人)の同派は今後、町村氏を中心に運営され、麻生政権を引き続き支えていくことになる。

 総会では、森氏が「3人代表制は見直したい」と町村氏の会長昇格を提案。一部の中堅・若手から「もっと意見を聞いて決めるべきだ」といった声も上がったが、最終的には拍手で了承された。これを受け、町村氏は「微力だが全力を尽くして頑張る」とあいさつした。 

(5日、時事通信)

きょう(5日)、自民党の各派閥は総会を開いた。
最大派閥・町村派の総会では、最高顧問である森喜朗元首相が3人いる代表世話人の中で、町村信孝前官房長官を「会長」に復帰させるよう提案した。
森氏は「3人の代表世話人という体制はおかしいと考えてきた。町村派なのだから『町村会長』にすべきだ」と発言。
中川秀直元幹事長と谷川秀善参院議員の2人は代表世話人を続投するが、今回「会長」職が新設されることで、中川氏と谷川氏は事実上の“降格”を余儀なくされることとなる。

会合では、この提案に賛成する意見も出される一方で、「衆院選を控えてコップの中の争いをしている場合ではない」という意見や「所属議員の意見も聞かずに、一方的な話であり、オープンな場で時間をかけて議論すべきだ」という意見など、体制の見直しに反対する意見が多く出された。
しかし、派閥事務総長の中山成彬前国交相が「きょうの会合で結論を出したいので、森氏の提案を了承すべきだ」と賛同を求める。
さらに、森氏が「提案した代わりに派閥を離れたいと思う」と述べ、派閥離脱も辞さない構えを見せたことで、最終的に「町村会長」体制が了承された。

もともと町村氏は派閥会長だったが、2007年秋、福田康夫内閣で町村氏が官房長官に就任したことにより、会長職をなくした。
そして中川氏と谷川氏の2人を新たに加えた形で「代表世話人」ポストを設け、集団指導体制を採用していた。
森氏と中川氏はかつて“親子関係”と評されるほど密接な関係にあったが、昨年(2008年)秋の自民党総裁選で、森氏が麻生太郎首相を支持したのに対し、中川氏は小池百合子元防衛相を総裁候補に擁立。以来、すきま風が吹いていた。
2人の関係を決定的に悪化させたのは、先の「消費税率引き上げ時期」明記問題である。中川氏が麻生首相の案を批判したことに、森氏や安倍晋三元首相(町村派相談役)らが反発。
2日夜には、森氏、安倍氏、町村氏の3人が会談し、集団指導体制を見直す方向で協議を行っていた。

新たに派閥会長に就任した町村氏は「中川先生も谷川先生にも頑張って頂かなきゃなりませんし、全員野球でやっていこうと」とその決意を述べた。
今回の「町村会長」誕生は、町村派内における幹部間の衝突が表面化した結果のもので、森氏らは一度は“お流れ”になりつつあった「中川外し」に成功したといえる。
とはいえ、現在は事態を静観している中川氏が、今後どのような動きを見せていくか。このまま黙っているとは思えない。「政界再編」を主張する中川氏が、若手・中堅議員を引き連れて派閥を離脱し、町村派が分裂するというシナリオも予想される。

<古賀派>麻生派の幹部と会合開く

 自民党旧宮沢派(宏池会)の流れをくむ古賀、麻生両派の幹部が4日夜、東京都内の中華料理店で会合を開いた。河野洋平衆院議長の在職最長記録の祝い名目で古賀派が呼びかけた。古賀派内には両派の合流を模索する動きもあり、将来の「大宏池会構想」に向けた布石との見方も出ている。しかし、一方で同派内には麻生政権に批判的な議員も少なくなく、合流実現には時間がかかりそうだ。

 会合には、古賀派の古賀誠選対委員長、谷垣禎一元財務相、麻生派の中馬弘毅元行革担当相、鈴木恒夫前文部科学相ら20人が参加した。【田所柳子】

(5日、毎日新聞)

一方、別の派閥でも気になる動きがあった。
昨日(4日)夜、「総裁派閥」である麻生派の幹部と、党内第3派閥である古賀派の幹部が都内の中華料理店で会合を開いたのだ。
古賀派と麻生派は、もともとは旧宮沢派としてまとまっていたが、旧宮沢派の後継と目された加藤紘一元幹事長をめぐる確執により、麻生派(当時:河野派)は旧宮沢派を離脱。古賀派と麻生派の幹部が会合を開くのは、派閥離脱後初めてで、実に約10年ぶりのことである。
今回の会合が「河野洋平衆院議長の在任最長記録を祝う」という名目で開かれたものだが、人事をめぐり混乱する最大派閥・町村派を横目に、党内政局のキャスチングボートを握ろうという古賀派の思惑が伺える。

会合には河野氏のほか、古賀派から古賀誠選対委員長、丹羽雄也元総務会長、谷垣禎一元政調会長らが出席。
会合後、河野氏は「とても楽しく良い時を過ごしました」と述べ、谷垣氏も「恩しゅうを離れて十数年の時間も経ちましたし、そういう意味では懐かしい顔ぶれ」と笑顔混じりに記者団に語った。
現在の古賀派は、昨年、旧古賀派と旧谷垣派が合流したことにより発足。旧宮沢派(宏池会)は旧古賀派、旧谷垣派、旧河野派(現麻生派)の3つに分裂したが、このうちの2つの派閥が合流したということで、旧古賀派と旧谷垣派の合併は「中宏池会」構想と呼ばれた。
仮に古賀派と麻生派との合流が実現すれば、「大宏池会」構想が実現することとなり、党内第2派閥、80人の大所帯となる。

昨年11月には、古賀派総会で古賀氏が「いっそのこと、為公会(麻生派)と一緒になって、大宏池会になっておけばよかったと思わないでもございませんが――」と語るなど、麻生首相の求心力低下を背景に、「大宏池会」実現化の動きが本格化している。
しかし、今日の麻生派総会で、麻生派の中馬弘毅座長「どこかの派閥と連携したり、一部の派閥と何かコトを起こすようなことは一切致しません」と発言し、古賀派との合流を完全否定した。古賀派内にも麻生派との合流に消極的な意見があり、合流に向けた道のりは未だ険しい。

森―小泉―安倍―福田と4代連続で町村派が「総裁派閥」の座を独占する中、森政権から安倍政権に至るまで“冷や飯”を食らい続けてきた古賀派。
「町村会長」体制で再スタートすることになった町村派は、一致結束して党内最大派閥であり続けられるのか。それとも、派閥分裂の危機は現実のものとなってしまうのか。
結党以来「保守本流」とされてきたが21世紀に入って一度も「総裁派閥」の座を獲得することができないでいる古賀派は、今後の党内政局にどのような影響を及ぼしてくるのか。
これら派閥の動きを、単なる「コップの中の争いごと」と見過ごすことはできない。総選挙後の「政界再編」にも影響を与える可能性が高い。

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2009年02月04日

危機を迎えた自民党 “W作戦”で衆参選挙に挑む

参院選を軸に、衆院選の時期が決定される構図が生まれそうだ。

<古賀選対委員長>渡辺喜美氏の対立候補要請 栃木県連に

 自民党の古賀誠選対委員長は3日、党本部で栃木県連の梶克之幹事長と会談し、離党した渡辺喜美元行政改革担当相の衆院栃木3区について、「自民党を出た人だし候補を立てないわけにはいかない」と述べ、公募も含め対立候補の選定を急ぐよう要請した。梶氏は地元関係者と相談する考えを示した。

(3日、毎日新聞)

2日(月)、自民党の古賀誠選対委員長は首相官邸で麻生太郎首相(自民党総裁)と会談し、来年(2010年)夏の参院選比例代表候補について話し合った。
この会談では、今年(2009年)4月中に「第1次公認候補」を決定する方針を決めた。苦戦が予想される総選挙をにらみ、参院選の候補者決定を一部“前倒し”し、衆参の選挙運動を連動させる狙いがある。
かつて自民党の有力支持団体だった全国郵便局長会(全特)の会合に、民主党の小沢一郎代表が出席するなど、支持団体の「自民党離れ」も深刻で、各支持団体の代表を党公認候補として擁立し、囲い込みを急ぐ思惑もある。

会談には自民党の菅義偉選対副委員長も同席し、比例候補の名簿搭載基準については、以下の基本方針を確認した。
・70歳で定年
・支持団体推薦候補者以外に、著名人ら党総裁特別枠も設ける
・候補は党員党友を確保する
自民党執行部は、あす(4日)開かれる選対会議で、比例候補の選定作業を開始する。

自民党の参院選比例代表候補は、毎回約30人ほど。うち20人程度は、農林水産業、建設団体、日本医師会など党の支持団体から擁立される候補だ。
普通、候補者決定は選挙の1年前に行われるが、2日の会談後、古賀氏は「(参院比例代表候補が)衆院選候補と一緒に戦いやすい状況を作るのも大事だ」と、衆参選挙“W作戦”の意義を説明した。

ただ、自民党支持団体の集票力は年々低下。各比例代表候補の得票数も、全体的に下落傾向にある。
日本医師会や、2005年の「郵政総選挙」で自民党の“敵”側に回った全国郵便局長会(全特)など、これまで自民党を支えた各種団体の「自民離れ」に、党執行部は危機感を強めている。
日本医師会は先月(1月)、現職の西嶋英利参院議員の推薦を決めたものの、調整過程では「民主党政権が誕生しても、我々は自民党から候補を出すべきか」などの意見が出たという。

参院選比例代表に候補者を擁立する各団体の狙いは、政権与党を通じ、自らの政策実現を図ることにある。
仮に自民党が野党に転落すれば、自民党から候補者を擁立するメリットは薄れる。「『野党・自民党』から候補を出しても意味はない」ということだ。
自民党のある参院比例代表選出議員は「衆院選の結果を見て、自民・民主双方を支援するなど、態度を変えてくるところもあるだろう」と懸念している。

衆院選候補と参院選候補を連動させて戦う“W選挙作戦”により、自民党は参院選候補を引き締めると同時に、各支持団体からの支持を早めに囲もうとする狙いがある。
この“W作戦”に当然関わってくるのが、先月自民党を離党した渡辺喜美元行革担当相の選挙区に“刺客”を送り込む、という古賀氏の選挙戦略だ。
昨日(3日)、古賀氏は党本部で栃木県連・梶克之幹事長と会談し、渡辺氏の選挙区である衆院栃木3区について、「自民党を出た人だし、候補を立てないわけにはいかない」と述べ、公募も含め対立候補の選定を急ぐよう要請した。
古賀氏からの要請を受け、梶氏は「地元には刺客を立てないでほしいという要望がある」とも述べたが、最終的には地元関係者と相談する考えを示した。

同日、菅選対副委員長も記者団に対し「渡辺氏が自民党を離党したのだから党公認候補を立てるのは自然だ。勇気をもって出馬する人がいれば全面支援したい」と語った。
個別事情を申せば、渡辺氏は地元での選挙に「強い」とされるが、今回の選挙で、“刺客”候補を比例代表名簿の上位に登載するような優遇措置はとらない方針だ。

衆院予算委員会では、昨日から閣僚と与野党議員による質疑が開始。2日目の今日は民主党の菅直人代表代行、前原誠司副代表らが麻生首相に質問した。
参院で解散が行われることはないから、これまでの選挙戦術理論でいえば、参院選候補の選定作業は毎回、スケジュール通りに行えばよかった。しかし、今年中に必ず実施される衆院解散・総選挙にて与野党の構図がどう変化するのかは予測できない。
そこで、今回用いられるのが“W作戦”で、参院で多数を握った政党が衆院の解散・総選挙にも影響を与えることは、一昨年夏(2007年)以来の「ねじれ国会」で証明されてきた。
衆院選と参院選がお互いにリンクし合う関係を迎え、日本の政治システムは大きな変化を迎えつつある。今回の自民党による参院選候補選定“一部前倒し”からも、そのことは伺えるだろう。

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posted by Author at 22:05| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 選挙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月03日

尾辻質問から考える… 自民党は「野党」になっても魅力を持てるか

日本医師会向けのパフォーマンスという面はある。しかし、この質問から考えさせられる点は多い。

自民・尾辻氏 「下野覚悟で!」首相に迫る

jimin_otsuji_20090130.jpg(C)毎日新聞

 「経営者の視点で改革が進められ、多くの人を失業に追い込んだ。(政府の)規制改革会議は責任をとらなければならない」。30日の参院代表質問で、自民党の尾辻秀久参院議員会長が、野党のような辛口の政府批判を連発し、構造改革路線と明確に決別するよう麻生太郎首相に迫った。

 尾辻氏は規制改革会議と経済財政諮問会議の廃止を迫った後、社会保障費の伸びを毎年2200億円抑制する政府方針も攻撃。「『できません』と素直に言えばいいのに、つじつま合わせで訳が分からないことを言っている」と切って捨て、「乾いたタオルを絞っても、もう水は出ない」と撤回を呼びかけた。

 さらに「野に下るのは恥ずかしくない。恥ずべきは政権にあらんとして、いたずらに迎合すること。毅然(きぜん)と進む首相にご一緒します」と、首相に「下野の覚悟」まで説いた。

 だが首相は「諮問会議などは政策の調査、審議で大きな貢献をしてきた」などとそっけない答弁に終始した。

 質問後、尾辻氏は記者団に「もう少し正面から答えてほしかった」と表情はさえなかった。【野口武則】

(1月31日、毎日新聞)

先月(1月)30日の参院本会議で、麻生太郎首相の施政方針演説に対する自民党・尾辻秀久参院議員会長の代表質問が行われた。
尾辻氏は、「政府の経済財政諮問会議が唱えてきた市場原理主義は間違いだった。規制改革会議も、多くの人を失業に追い込んだ。両会議を廃止すべきだ」と述べ、構造改革路線の全否定を求めた。
「首相! 野に下ることは恥ずかしいことではない」と下野のすすめまで説いたため、野党席からは喝采が起きた。

閣僚席で尾辻氏の代表質問を聞いていた麻生首相は、困惑顔を隠すことができなかった。
「今後とも経済財政諮問会議などでわが国が直面する課題の克服に向け精力的に審議する。内閣の最終的な政策決定は閣議で行う」と回答するのが精一杯だった。
本会議後、民主党の簗瀬進参院国対委員長は「尾辻氏は大変果敢だ。自民党は完全に自己分裂状況に陥った」と絶賛。国民新党の亀井久興幹事長も「自民党内でもそういう考えの人がだんだん増えている」などとべた褒めした。

一方、自民党内からは反発の声が上がった。
安部晋三元首相は講演で「小泉以前に戻そうとする動きは阻止しなければならない」と強調。
山本一太参院議員も「構造改革路線を全部ひっくり返すのは乱暴だ」などと述べた。

尾辻氏は1940年、鹿児島県生まれ。
一度は防衛大学校に入学するが、母の死去により家族を支えるため大学を中退し、仕事を始める。その後、改めて東京大学に入学するが、在学中に海外を放浪し、結局こちらも中退する。
帰国後はルポライターとして活動し、著作が第1回大宅賞にノミネートされたこともあった。
1979年、鹿児島県議会議員選挙に当選。1986年、旧鹿児島1区から衆院選に出馬するが、落選。1989年の参院選比例代表で初当選した。

2004年、第2次小泉純一郎内閣で厚労相に任命され、がん対策に力を入れる。在任中の2005年に「がん対策情報センター」予算の骨格が決まった。
2005年、参院予算院長に就任。2007年の参院選で自民党が敗北したことを受け、青木幹夫参院議員会長(当時)が責任を取り役職を辞任。後任の参院議員会長に就任する。
自民党「患者中心のがん医療を推進する議員の会」会長を務め、2006年に成立したがん対策基本法の制定に尽力した。
昨年(2008年)1月には、がん闘病の末、2007年12月に死去した民主党の山本孝史参院議員の追悼演説を、参院本会議で涙ながらに行う。山本氏は民主党における同法の推進役だった。
現在は、超党派の議員立法に関わることが多い。
医療・福祉関連の政策立案能力、嘘をつかない性格や人柄は高い評価を受けているが、お世辞にも「政局に強い」政治家とは言いがたく、参院議員会長に尾辻氏が就任しても、参院自民党の影響力はさらに低下するだけだ、との意見も存在した。

――尾辻氏が30日に行った代表演説は、内容、口調ともにさながら野党議員による代表質問のようであった。
実は、麻生首相と尾辻氏のあいだには、過去にも一度“いさかい”があった。
昨年11月に麻生首相が講演で「医師は社会的常識が欠落している人が多い」と発言、物議を醸したが、この直後の自民党会議で尾辻氏は「医師会の推薦はいらないっていうんだな」と同僚議員を恫喝したのだ。
その後麻生首相は謝罪したが、自民党の支持団体・日本医師会と自民党の関係はさらに悪化した。
「厚労族」であり、日本医師会に近い尾辻氏としては、今回の代表質問で麻生首相に対して厳しい物言いをすることで、日本医師会に向けてパフォーマンスをする狙いがあったといえよう。

しかし、尾辻氏が指摘した点は、実はとても大事な点でもある。「政権政党」の座を保持し続けるがために存在する、今日の自民党の在り方に疑問符を呈したからだ。
自民党が政権政党であること、すなわち与党であることに最重要の意義を求めてきたことは、過去にこのブログでも多く言及してきた。
「55年体制」で生まれた自民党が結党直後、最大に担った使命は日本を反共化することであったが、米ソ冷戦の終結により「反共化」という最大の使命が持つ意味合いは薄くなる。そして、1993年の非自民政権誕生により、「55年体制」は事実上崩壊。
今日における自民党政権の最大の使命は、与党であり続けることであり、「政権を獲って何をするか」という本来の目的性は失われつつあると言わざるを得ない。「政権与党になる」という手段が目的と化しているのだ。

私個人の意見としては、民主党に政権を担わせたい気持ちは微塵たりともない。「一度、民主党に政権を担わせてみたら」という思考停止に陥った考え方をすることもできない。
しかし、現状を客観的に分析すれば、自民党が野党に転落し、民主党政権が誕生する可能性は極めて高い。民主党に政権の座が回ることは避けられない事態といえよう。

だからこそ、自民党にとって今大事なのは政権を死守することではなく、「自民党らしさ」を打ち出すことなのではないか。民主党には打ち出すことが不可能なような「自民党らしさ」を打ち出すことで、ネガティブに政権政党の座にしがみつくのではなく、ポジティブに政権政党の座を狙いに行くことが大事なのではないか。
それは旧来の懐古的な自民党像を打ち崩し、21世紀型の若いエネルギーあふれる自民党像を創り出すことにもつながる。日本の政治に新風を巻き起こすためには、自民党が一度下野することは決してムダなことではない。それだけのリスクを負うだけの価値はあるはずだ。

日本の政治システムが「内閣」「与党」「野党」などと簡単に分類できないのは、一つに自民党の持つ特性ゆえである。党内派閥間の争いによる「擬似政権交代」。「族議員」による政官連動。そして、これらの要素により続いた「1と2分の1政党制」。
1993年の細川護煕政権誕生は、自民党にとって、政権与党の座に安住し続けた“ツケ”を払わせられたかのように思えた。2009年、「ねじれ国会」の下で迎える総選挙を控え、自民党は再びこの“ツケ”を払わされようとしている。

2005年の「郵政総選挙」で自民党は新たに生まれ変わったわけではなかった――。こう考える有権者たちによる“反乱”が、積極的ではないにせよ民主党政権誕生へ歴史のコマを進めている。
自民党は今度こそ本当に生まれ変わらなければならない。「派閥」「族議員」などのシステムは必ずしも善悪の基準で判断できるものではなく、よい面もあれば悪い面もある。
しかし、いかにせよ旧来の在り方は21世紀には通用しないことはたしかだ。自民党は野党に転落してでも、訴えたい何かを持つことができるか。「野党・自民党」としての魅力を発揮することができるか。
自民党も民主党も、国会で「政治ごっこ」をやっている場合ではない。


<リンク>
尾辻氏の代表質問全文(2009年1月30日) その1 その2
尾辻氏による山本氏への追悼演説
追悼演説動画 前半 後半

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posted by Author at 21:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(2) | 政治・政局 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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