2008年07月23日

八王子通り魔事件 「社会のせい」では片付けられない

前半は「内閣改造」について。そして後半は「事件の捉え方」について。

<内閣改造>政界の当面の焦点…閣僚からも関連発言相次ぐ

 福田康夫首相は22日、夏休みを終えて公務に復帰した。午前中の自民党役員会で「これからいろいろなことを総合的に考えていかなければならない時期なので、十分連携を取って努力したい」と述べたが、政界の当面の焦点は内閣改造の有無。各閣僚からもこの日、関連発言が相次いだ。

 町村信孝官房長官は「一般論」と断った上で、閣僚の在任期間の短さに対する海外の批判的な見方を紹介し、「できるだけ長い期間やることは大切なことだろう」と指摘した。町村氏の処遇は改造の焦点だが、さりげなく意欲を示した格好だ。

 舛添要一厚生労働相は「日本年金機構や介護(報酬見直し)など課題が山積しているので、全力でやっていくことに尽きる」と強調。防衛省改革に取り組む石破茂防衛相も「首相が一番仕事がしやすい顔ぶれをいつもそろえておくのは当然だ」と自信をのぞかせた。

 独立行政法人改革や公務員制度改革で度々首相官邸と衝突した渡辺喜美行革担当相は「支持率のために内閣改造をする、しないというのは邪道かと思う」と指摘してみせた。

 当の首相は22日夕、夏休みについて「仕事らしいことは何もしなかった。サボったってことかな。すみません」と述べ、「改造人事を熟考した」との見方を否定してみせた。【坂口裕彦】

外に出ると、子供たちの姿が目に付く。
「学校はどうしたのかな?」と思った後に、「ああそうか。もう学校は夏休みなのか」と気が付く。
福田康夫首相は22日(火)、夏休みを終えて公務に復帰した。一国のトップなのだから当然ではあるが、短い期間の夏休みである。

北海道・洞爺湖サミットが終了し、当面の永田町の注目は「福田首相が内閣改造に踏み切るかどうか」ということだ。
22日夕方、福田首相は「(夏休み中は)仕事らしいことは何もしなかった。サボったってことかな。すみません」と話し、内閣改造を検討していないことを強調しているが、私は、福田首相は十分に検討に入っていると思う。

小泉―安倍内閣は「官邸主導」と称され、福田内閣は「官僚主導」と称されることが多いが、実態はそうではない。
福田首相は、肝炎問題にしろ、道路財源一般化にしろ、トップダウン型で物事を決める性質がある。
肝炎問題では町村信孝官房長官を通さず、道路問題では自民党の伊吹文明幹事長や谷垣禎一政調会長を通さず、独断専行で物事を解決しようとした。

当然その意思は福田首相本人にある訳だが、首相を強力にサポートする存在として坂篤郎官房副長官補の存在を忘れてはならない。

saka_jpg.jpg(C)内閣官房ホームページ

内閣改造が実施されるか、現段階では不明確だが、「官邸主導」で検討に入っていることだけは間違いない。福田内閣を、単純に「官僚主導」と読み解くのは大きな間違いだ。



さて、前回のエントリでは「政界のガッキー」こと自民党・谷垣政調会長の記事をご紹介した。
今日は、もう1人の政界のアイドル(!?)、「マッチー」こと町村信孝官房長官の発言をご紹介したい。
<八王子殺傷>「命の大切さ教えて」町村官房長官

 町村信孝官房長官は23日午前の記者会見で、東京都八王子市で2人が死傷した通り魔事件について「命の大切さを教育現場で、あるいは家庭で、社会でしっかり教えていくところからやっていくしかない。基礎に立ち返って教育から始めていくことが必要ではないか」と述べた。

(23日、毎日新聞)

「ナイフ抹消するわけにいかない」八王子事件で町村長官

 町村信孝官房長官は23日午前の記者会見で、東京都八王子市で起きた無差別殺傷事件について、「(凶器は)どこの家庭にでもあるような包丁で、これを規制するのはちょっと考えられない。世の中からナイフのたぐいを一切抹消するわけにはいかない」と述べ、無差別殺傷事件対策としての刃物規制には限界があるとの考えを示した。

 その上で「(人の命の大切さの教育など)地道なことをしっかりやっていかないとなかなか問題への答えは出てこない」と強調した。

 また「フリーターの人が事件を起こすと、やっぱりフリーターが悪いんだと、わかりやすいから理屈を付ける。世の中からフリーターがいなくなれば一切こういう事件が起きないかといえば、そういうわけにはいかない」とも述べた。

(23日、毎日新聞)

またも通り魔事件が発生してしまった。今度は、東京・八王子でである。
テレビに出てくるコメンテーターと称される方々の中には、こういう事件が起きるのは「社会が悪い」はたまた「小泉改革が悪い」などと言う人もいるようだ。
私に言わせれば、それらは無責任極まりない発言である。

今回の事件が起きたのも、秋葉原の通り魔事件が起きたのも、社会のせいではなく、当たり前のことを書くようだが、犯人個人のせいだ。

3年前の春に発生したJR福知山線の脱線事故でも、スピード超過を起こした運転手ではなく、「日勤教育」なる方式を会社の仕事の枠組みの中に採用していたJR西日本が責められるということがあった。この時メディアには、「むしろ運転手は被害者ではないか」という意見が根強かった。

私がこの時メディアの論調に違和感を覚えたのは言うまでもない。「日勤教育」というシステムが正しいか間違っているかということは、運転手が事故を起こしたこととは別個に判断されるべき事柄であり、どんな理由であれ、事故を起こした運転手に非があるのは明らかではないか。

「日勤教育」が間接的に自己を引き起こしたという表現も可能なのかもしれないが、運転手の判断によっては事故を起こさないことが十分可能だったのであり、その常識的な事柄を忘れてJR西日本批判を繰り返す人々の見識を、私は疑った。

この国の社会がどんなに劣悪極まりない社会になっているとしても、殺人という行為は許されるべきでないのは自明の心理だ。
人間は、生まれながらにして自由かつ平等に生きる権利がある。個人・国家が個人の生命を奪うことは、いかなる理由であれ許されるべきではない(ここで死刑制度の話をすると文章が複雑になるので、今回はそのことは書かない)。

今回の事件は、「社会のせい」という言葉では片付けられない。「派遣社会のせい」という言葉でも片付けられない。
そこには、1人の人間の、間違った思考と言動がある。常識的なそのことを忘れてはならない。

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posted by Author at 18:15| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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