2009年08月07日

“オバマジョリティー”を問う… 「オバマ頼み」はやめろ


昨日(8月6日)、TBSテレビ系列のニュース番組で放送された『オバマジョリティーを問う』との特集VTRは、非常に興味深いものだった。
「オバマジョリティー」とは、バラク・オバマ米大統領の名前と、「多数派」を意味するマジョリティーという英単語をつなげた造語だ。
秋葉忠利・広島市長によれば、「オバマジョリティー」という言葉は、オバマ大統領に賛同する世界の多数派を示しているという。

私は核廃絶をすべきだと思うし、日本は非核三原則を今後も堅持すべきだと思うが、今年(2009年)4月のオバマ大統領による「プラハ演説」の意義については、疑問符を抱いている。

はたして、オバマ大統領は、本当にこの世界から核兵器をなくそうとしているのか。
彼にとって「アフガン戦争」という“正しい戦争”が存在する限り、オバマ大統領の「プラハ演説」は、平和主義者もどきのパフォーマンスにすぎないのではないか。

オバマ大統領の「プラハ演説」に感化された一部の広島市民の方々が、オバマ大統領に過度な期待を抱いているのも気になる。
今こそ現実を見据えて、“オバマ頼み”の風潮はなくすべきだ。
「オバマ大統領を広島に呼ぼう」という動きもあるようだが、それに何の意味があるのか。少なくとも私は、オバマ大統領が今後広島を訪問したとして、1945年8月6日の原爆投下について謝罪をするとは思えない。

核廃絶のための動きは市民レベルでも国家レベルでも展開していかなければならないものだし、日本はそれを世界中のどの国よりも威風堂々とやる権利と義務がある。
しかし、平岡敬・前広島市長が指摘する通り、オバマ大統領の言葉一つに「甘ったれ」ている場合ではないのだ。
オバマ大統領を歓迎するよりも、自分たちの足で動く必要がある。オバマ大統領は非核主義者ではなく、もっといえば反戦主義者でもなく、彼の手ではこの世界からは核兵器は根絶されないということを、改めて我々日本人は認識しなければならない。



“オバマジョリティー”を問う (ニュース映像)


(以下、RCCニュース:中国放送にて放送された映像とその記事)

オバマジョリティーを問う
ニュース映像(.wmv)

広島市の秋葉市長は、核兵器の廃絶を目指すアメリカのオバマ大統領を支持することを表明し、オバマジョリティー・キャンペーンを推進しています。被爆地広島がアメリカの大統領との連帯を求めることについて、平和問題の専門家からは、広島の主体的な主張を弱めることにつながると懸念する声もでています。

 原爆被害の資料を展示した広島市の原爆資料館。そのなかにある売店で、市がつくったTシャツが売り出されています。

 「オバマジョリティー」とは、アメリカの大統領の名前「オバマ」と、多数派を意味する「マジョリティー」を組み合わせた造語です。

 「アメリカには、唯一の核兵器使用国として、行動する道義的責任がある。アメリカは『核兵器のない世界』の安全と平和を追求すると、確信を持って表明する」(アメリカ オバマ大統領)

 オバマ大統領は、今年4月、プラハでの演説で、「核兵器のない世界」を目指すと宣言しました。

 広島市の秋葉市長は、「オバマジョリティー」という言葉は、オバマ大統領に賛同する世界の多数派を示していると説明しています。

 「私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。この点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を『オバマジョリティー』と呼び、力を合わせて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼び掛けます。力を合わせれば核兵器は廃絶できます。絶対にできます」(平和宣言 秋葉忠利広島市長)

 広島市は、「オバマジョリティー・キャンペーン」を展開中です。市長の会見場にPRパネルを設置したほか、ウェブサイトやPRソングもつくることにしています。

 「平和公園に、こうしたオバマ大統領の記念撮影用のパネルを設置し、ここで撮った写真を大統領に贈って、広島訪問を呼びかけるという案も出ています」(伊藤文キャスター)

 「オバマさんにぜひ広島に来てほしい。そして、資料館の見学はもちろんのこと、被爆者に皆会って下さいと」(広島県被団協 坪井直理事長)

 「今、世界にある核兵器の数だけ折り鶴を折ってもらって集めて、オバマさんに贈ろうという計画をしています」(中高生のグループ)

 オバマ大統領が卒業したハワイのプナホウ・スクールからは、2人の生徒が広島を訪れ、核廃絶を求める署名活動に参加しました。

 「(オバマジョリティー・キャンペーンは)賢いやり方。アメリカと日本を一つにする」(プナホウ・スクール ケイラ・ムラタさん)

 「(オバマ大統領は)広島の大勢の人々に希望をもたらした」(プナホウ・スクール ケビン・チャンさん)

 前のブッシュ政権の時代、イラク戦争で劣化ウラン弾を使い、小型核の開発を目指したアメリカ―。一国主義的な政策は、オバマ政権の誕生により大きく転換しました。

 「歴代の大統領は自分らの(責任の)ことを一切言わなかったですね。(原爆投下を)肯定することばっかり言ってた。(オバマ大統領は)もう歴代の大統領と違いますから、ええ。この人だったら、1歩でも2歩でも前進していくんじゃないかというふうに思いますね」(漫画「はだしのゲン」の作者 中沢啓治さん)

 しかし、原爆投下をめぐる日米間の認識には、依然として隔たりがあります。

 アメリカの大学が行った世論調査では、広島・長崎への原爆投下について、アメリカの有権者の61%が「正しかった」と回答。「間違っていた」と答えたのは、22%にとどまりました。

 新聞記者として長く原爆報道に携わり、広島市長を務めた平岡敬さんは、オバマ大統領はプラハでの演説の中で、原爆投下の責任については認めていないと指摘しています。

 「なんと言ったかね、あれは、THE UNITED STATES HAS A MORAL RESPONSIBILITY TO ACT.行動に対する道義的責任っていう。ですから結局彼は認めていない」(平岡敬前広島市長)

 平岡さんは、原爆投下の責任が明らかにされなければ、核兵器が使われる可能性があると警告しています。

 「やっぱり僕は、謝らせなきゃいかんと思うんです。で、今、広島はですね、オバマに来てくれなこと言ってますね。来て何するんですか。ああいう、その広島のね、甘ったっるさってのを僕は嫌いなんですよ」(平岡敬前広島市長)

 オバマ大統領は、プラハでの演説の中で、自分が生きている間に核兵器を廃絶することは不可能だという見通しを示し、「核兵器が存在する限り、アメリカは兵器を維持して敵に対する抑止力を保ち、同盟国の防衛を保証する」とも述べています。

 「オバマっていうのはですね、核廃絶論と核抑止論の間の真ん中に立っててですね、ちょうど振り子の中心にいる、やじろべえみたいなもんで、どっちに行くかなあという状況だと思うんですよ。一番今求められていることは、核廃絶論の私たちの主張とか政策とか、そういうことを主体的に強める努力をするということであって、オバマ頼みっていうのはですね、むしろそういう努力に水を差す、私たちの主体的努力をも安易な楽観論でですね、弱めてしまうことすら懸念されるわけで」(広島市立大学広島平和研究所 浅井基文所長)

 平和記念式典に出席した麻生総理は、日本が過去15年にわたり、国連総会に核廃絶決議を提出してきたと強調しました。

 「私は、改めて日本が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます」(麻生太郎首相・平和記念式典)

 「そのアメリカの傘に依存する政策、これをまず論破、克服しないとですね、日本の核廃絶論がですね、国際的な説得力を持ち得ないという因果関係があると思うんですね。そういうその日本政府に対してですね、広島が何も物を申さないという現状はですね、やっぱり私は非常にどこか危ういものを感じるんです」(広島市立大学広島平和研究所 浅井基文所長)

(RCCニュース:中国放送、8/6 19:40)
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2008年11月19日

これは、元厚生次官を狙った「年金テロ」なのか

犯人の動機はまだ分からない。しかし、許されざる犯罪であることは間違いない。

元厚生次官宅連続襲撃事件 同一犯との見方強まり、警視庁と埼玉県警が共同捜査本部設置

 元厚生事務次官ら連続殺傷事件は、同一犯が官僚トップを狙った「連続テロ」との見方が強まった。警視庁と埼玉県警は19日夜、共同捜査本部を設置した。

 さいたま市南区で、元厚生事務次官・山口剛彦さん(66)と妻・美知子さん(61)が刺殺された事件では、遺体が発見された玄関で印鑑が見つかった。

 警察は、犯人が宅配業者などを装った疑いがあるとみて調べている。

 また、血のついた足跡は、スニーカータイプであることがわかった。

 一方、東京・中野区で、元厚生事務次官・吉原健二さん(76)の妻・靖子さん(72)が宅配業者を装った犯人に襲われた事件で、警視庁は19日に現場検証を行い、5カ所から血痕を採取した。

 また、路上などから見つかった足跡とみられるものが、さいたま市のものと一致しないか鑑定を進めている。

 警視庁と埼玉県警は、厚生労働省関係者を狙った同一犯の可能性が高いとみて、共同捜査本部を設置し、犯人の割り出しを急いでいる。

(FNN-NEWS.COM、11/19 20:58)

昨日(18日)午前10時すぎ、埼玉県・さいたま市で、元厚生事務次官の山口剛彦さんと妻の美知子さん(61)が、自宅の玄関で胸を刃物で数カ所刺され、死亡しているのが見つかった。
その後の調べで、山口さん宅の台所では、調理された料理がテーブルに並べられていて、換気扇が回っていたことが新たに判明。警察では、夕食の時間帯に襲われた可能性が高いとみている。
また、山口さんの両腕には、犯人と争った時にできる切り傷があったことも判明。警察は、犯人が美知子さんを襲ったあと、山口さんと揉み合いになった末、殺害した疑いがあるとみている。

さらに、自宅前の路上から西へ向かって、およそ50メートルにわたって、血のついた模様のある靴跡が残されていたことも分かった。
警察は返り血を浴びた犯人が、歩いて逃げた際に残したものとみて調べている。
そして今日(19日)、新たに遺体が発見された近くから、ふたが閉まったままの印鑑が見つかっていたことが分かった。
印鑑はいわゆる“シャチハタ”タイプのもので、山口さん夫妻は宅配業者を装った犯人により殺害された可能性が濃厚となっている。

そして昨日午後、東京・中野区で、同じく元厚生省事務次官の吉原健二さん(76)の妻が何者かに刺され重傷を負った。
この事態を受け、厚生労働省は、歴代幹部や現役幹部の住所リストを警察庁に送って、警備の強化を要請している。
18日夜、厚生労働省は、警察庁に警備の強化を要請するとともに、すでに帰宅した現役幹部の安否を確認した。
職員は「(厚労省の)関係者を狙っているなら、気を付けないといけないねという話はした」と話した。
厚労省が警察庁に警備強化を要請したのは、歴代の事務次官や社会保険庁長官、年金局長、保健局長などについてで、住所リストを作成して警察庁に送っている。

今回の事件について、舛添要一厚労相は18日夜、「テロということなら、こういう卑劣なことはよくないと思います」「許し難い犯罪なので」と述べた。
また麻生太郎首相も同夜、私邸に戻ってから事件の報告を受け、「痛ましい」と述べるとともに、情報収集を急ぐよう指示した。
麻生首相は、警備上の都合から、毎朝行っている散歩をしばらくやめることにしたという。

元厚生事務次官宅が相次いで襲撃された今回の事件。2つの殺傷事件には多くの共通点がある。
どちらも現場は自宅玄関、または玄関先であったこと。
凶器については、どちらも刃物であったこと。深い傷を負わせるなど、犯人には強い殺意があったと思われること。
そして、元次官2人とも厚生省では年金担当だった“年金エキスパート”だったということ。
基礎年金制度の導入を決めた1985年の年金制度改正時には、吉原さんは厚生省年金局長、山口さんは年金課長を務め、“上司と部下”の関係として制度改正に道筋をつけた。
その後も吉原さんが1988年6月に事務次官に就任した際、山口さんは官房会計課長に就任。この時も直接の“上司と部下”として官房を取り仕切った。

吉原さんが厚生省の事務次官だったのは小泉純一郎元首相が最初に厚生相を務めた時で、小泉氏の2度目の厚生相在任中には山口さんが事務次官として仕えた。
吉原さんは年金局長を2年間務めた後、社保庁長官を経て事務次官に就任。
山口さんは1996年7月に保険局長となり、当時の事務次官の汚職事件を受けて、同年11月に後任の事務次官に就任した。このときには、厚生省職員を講堂に集め、涙ながらに「私たちはあなたの苦労を知っている」と話した上で、厚生省改革の必要性を訴えた。

現時点で、今回の事件が「政治的テロ」であるとは断定できないが、少なくとも、元厚生次官とその家族を意図的に標的にしたものであるということは言えそうだ。
今回の事件が集団の犯行であるか、個人の犯行であるかも判明していない。連続襲撃の動機も、必ずしも明らかではない。
しかし、ここであえて書かないとならないのは、たとえばこれが年金行政の停滞などに不満を持つ者の犯行であったとしても、今回のこの連続襲撃は、決して許されないものだということである。
フジテレビの箕輪幸人解説委員は、犯人像について以下のように分析している。

「こういった社会問題になっていると、自分が成敗をしてやるんだという間違った義侠心(ぎきょうしん)、こういうものが犯行に駆り立てたのかもしれないということ。
もう1つは、自分の親族に、本来だったらもらえるはずの年金がもらえなかった。
そして、例えば死んでしまったという時に、強い恨みを持つという可能性があると思います」

客観的にみて、厚労省職員のほとんどは真面目に働いており、寝ず食わずで激務を行っている。
土日も急遽役所に出勤することも、徹夜で残業をすることもしばしば。
そういうことを続けて、年金改革に取り組み、事務次官としても有能に働いた吉原さんや山口さんが、なぜこのような事件で標的にされなければならないのか。

ここで踏み込んで特筆しなければならないのは、ここ数年、メディアで展開されてきた「厚労省・年金バッシング」の存在だ。
もちろん、年金行政を担当する厚労省や社保庁のこれまでの行動にまったく非がなかったとは言わない。一部の労働組合員を中心に、仕事をきちんと行ってこなかった職員がいたのも事実だ。
1985年の年金制度改革に関しても、これが現代日本にとって必ずしも最適な改革であったかどうかということに関して、疑問符が付かざるを得ない現状も見受けられる。

しかし、伝え聞く話では、一連の「年金不信」の社会的流れを目の前にして、山口さんは生前「自分が当事者として関わった、あの年金改革は正しかったのか」と苦悩していたという。
今回の犯行が、「間違った義侠心」を持った犯人による犯行であると現時点で断定することはできないが、もし、そのような側面を持っているのだとすれば、メディアの責任も非常に大きく問われてくる。
少なくとも、メディアが「年金不信」「厚労省批判」“風景”を切り取って、拡大して報道してきたのは事実だ。

過去には本島等長崎市長狙撃事件(1990年1月)や国松孝次警察庁長官狙撃事件(1995年3月)、最近では伊藤一長長崎市長射殺事件(2007年4月)などもあった。これらは基本的には「政治テロ」に分類できるかもしれない。
何度も書いてきたように今回の事件が「政治テロ」だと断定することはできないが、しかし、もしそうだとすれば、「政治テロ」で世の中を変えることはできないのだということを改めて書いておきたい。
過去に起きた「テロ事件」を振り返ってみても、そこに世界のあらゆる問題を解決する手段として「政治的テロ」が機能したことはなかった。「政治的テロ」で生まれたものは破壊、憎しみ、怒り、悲しみ。ただそれだけである。そこに社会を改善するような方向性が打ち出された例は、過去、一例もない。
絶対に「政治テロ」では世の中は変えることはできない。そのことだけは、しっかりとここに示唆しておきたい。

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2008年11月16日

飲酒運転で16歳新聞配達少年死亡 与野党協調で一刻も早く「消費者庁」を設置せよ

消費者を守ること、それはすなわち国民を守ること。

ひき逃げ 新聞配達員が死亡…6キロ引きずられ? 大阪

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 16日午前3時10分ごろ、大阪府富田林市錦織東3の路上で原付きバイクが倒れているのを通行人が見つけ110番した。府警富田林署が運転手の行方を捜していたところ同8時半ごろ、南に約6キロ離れた同府河内長野市小塩町の駐車場に男性が倒れているとの通報があり、署員が毎日新聞富田林東販売店アルバイト、東川達也さん(16)と確認した。東川さんは既に死亡していた。同署は遺体発見現場近くに住む大工、市川保容疑者(41)を道交法違反(ひき逃げ)と自動車運転過失致死容疑で緊急逮捕した。市川容疑者が東川さんを引きずった可能性が高いとみて、殺人容疑も視野に追及する。

【ひき逃げ現場、捜査状況の写真】

 調べに対し、市川容疑者は「軽自動車を運転中、原付きバイクに追突した。飲酒運転だったので必死で逃げ帰った。(どう逃げたのかは)よく覚えていない」と供述しているという。駐車場には、市川容疑者所有の軽自動車が止まっており、車体前部が損傷していた。

 事故現場から南に約20メートルと約60メートルの路上に長靴が落ちており、数キロ先には破れた紺色のカッパのズボンが落ちていた。いずれも東川さんが着用していたとみられる。現場から約100メートルにわたって、何かをひきずったような跡もあった。東川さんは側頭部や肩に路面と擦ったような傷があり、着ていたカッパやズボンは背中や尻の部分が破れていた。

 調べでは、市川容疑者は富田林市錦織東3の路上を軽自動車で北から南へ走行中、東川さんの原付きバイクに後方から接触、救護せずに逃走した疑い。現場は片側1車線で、東川さんは新聞配達中だった。一方、市川容疑者は6月にも酒気帯び運転で検挙されていた。

 大阪府では10月21日、JR大阪駅前の交差点で男性会社員(30)がワゴン車にはねられ、約3キロ引きずられて死亡する事件が起きたばかり。

(16日、毎日新聞)

今日(16日)未明、大阪・富田林市で、新聞配達の少年を車でひき逃げしたとして、41歳の男が逮捕された。少年をおよそ5km引きずった疑いもあり、警察が調べている。

今朝3時前、大阪・富田林市で、ミニバイクに追突した軽四貨物自動車が、乗っていた少年を引きずりながら逃走した。
車は5km先の駐車場で、少年の遺体とともに発見された。
死亡したのは、新聞配達アルバイトの東川達也さん(16)で、警察は、大工の市川保容疑者(41)をひき逃げなどの疑いで逮捕した。

東川さんの勤務する新聞配達店は「お母さんの方はね、泣くだけで、ほんまに声をかけられない状態でしたね。お父さんの方は、下向いてね。何ていうのかな、『何でうちの息子が…』っていうことしか言ってなかったんで」と話した。
市川容疑者は「飲酒運転なので逃げた」と供述している。
大阪府警富田東署は、今後は殺人容疑も視野に、市川容疑者を追及する。

少年がひき逃げされた現場には、配達途中の新聞が散らばっていたということで、その事実が事件の悲惨さを伝えている。
新聞配達中の少年が自動車に轢かれ死亡するというのは、聞くも無残な非常に怒りを覚えるニュースだ。
ひき逃げされた上に、約5キロも自動車に引きずられて亡くなっていった少年の心境を思うと、とてもやるせない気持ちになる。

飲酒運転の厳罰化、道交法違反の厳罰化が求められることは言うまでもないが、どうにかしてこういった事件を防ぐことは出来ないのか。
このニュースとは直接関連がないように思えるかもしれないが、「消費者庁」の設置は一刻も早く実現されるべきである。「消費者庁」が設置されれば、「飲酒運転」を取り締まるための施策を実行することも出来る。
有志議員で作る自民党PTは、過去にシンドラー製エレベーター事故(私に言わせれば事件)で死亡した市川大輔さん(享年16)のお母様を呼び、防ぐことが出来たかもしれない事件による被害者の遺族の方々と意見交換を行うなどして、一刻も早い「消費者庁」設置のために奔走している。

「小さな政府」が求められ、省庁の削減への方向性が基本的な流れにある現状で、なぜ「消費者庁」という新たな内閣府管轄庁を設置する必要があるのか。なぜ設置を求める声が多数上がっているのか。そのことを、国民一人ひとりは真剣に考えるべきだ。
民主党は、政府・与党案はツメが甘いとして「対案」を提示しているが、結局、このことにより審議は一向も先に進んでいない。これはどういうことなのか。こういう事案は、与野党の区別なく協調すべき事案ではないのか。

一分一秒でも早く「消費者庁」を設置する必要がある。救える命を救う必要がある。そこに、野党の「選挙戦略」などが入り込む余地はない。
私自身も当事者の一人として、「消費者庁」構想の速やかな実現のために、全力・全速力で行動してまいりたい。

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2008年07月23日

八王子通り魔事件 「社会のせい」では片付けられない

前半は「内閣改造」について。そして後半は「事件の捉え方」について。

<内閣改造>政界の当面の焦点…閣僚からも関連発言相次ぐ

 福田康夫首相は22日、夏休みを終えて公務に復帰した。午前中の自民党役員会で「これからいろいろなことを総合的に考えていかなければならない時期なので、十分連携を取って努力したい」と述べたが、政界の当面の焦点は内閣改造の有無。各閣僚からもこの日、関連発言が相次いだ。

 町村信孝官房長官は「一般論」と断った上で、閣僚の在任期間の短さに対する海外の批判的な見方を紹介し、「できるだけ長い期間やることは大切なことだろう」と指摘した。町村氏の処遇は改造の焦点だが、さりげなく意欲を示した格好だ。

 舛添要一厚生労働相は「日本年金機構や介護(報酬見直し)など課題が山積しているので、全力でやっていくことに尽きる」と強調。防衛省改革に取り組む石破茂防衛相も「首相が一番仕事がしやすい顔ぶれをいつもそろえておくのは当然だ」と自信をのぞかせた。

 独立行政法人改革や公務員制度改革で度々首相官邸と衝突した渡辺喜美行革担当相は「支持率のために内閣改造をする、しないというのは邪道かと思う」と指摘してみせた。

 当の首相は22日夕、夏休みについて「仕事らしいことは何もしなかった。サボったってことかな。すみません」と述べ、「改造人事を熟考した」との見方を否定してみせた。【坂口裕彦】

外に出ると、子供たちの姿が目に付く。
「学校はどうしたのかな?」と思った後に、「ああそうか。もう学校は夏休みなのか」と気が付く。
福田康夫首相は22日(火)、夏休みを終えて公務に復帰した。一国のトップなのだから当然ではあるが、短い期間の夏休みである。

北海道・洞爺湖サミットが終了し、当面の永田町の注目は「福田首相が内閣改造に踏み切るかどうか」ということだ。
22日夕方、福田首相は「(夏休み中は)仕事らしいことは何もしなかった。サボったってことかな。すみません」と話し、内閣改造を検討していないことを強調しているが、私は、福田首相は十分に検討に入っていると思う。

小泉―安倍内閣は「官邸主導」と称され、福田内閣は「官僚主導」と称されることが多いが、実態はそうではない。
福田首相は、肝炎問題にしろ、道路財源一般化にしろ、トップダウン型で物事を決める性質がある。
肝炎問題では町村信孝官房長官を通さず、道路問題では自民党の伊吹文明幹事長や谷垣禎一政調会長を通さず、独断専行で物事を解決しようとした。

当然その意思は福田首相本人にある訳だが、首相を強力にサポートする存在として坂篤郎官房副長官補の存在を忘れてはならない。

saka_jpg.jpg(C)内閣官房ホームページ

内閣改造が実施されるか、現段階では不明確だが、「官邸主導」で検討に入っていることだけは間違いない。福田内閣を、単純に「官僚主導」と読み解くのは大きな間違いだ。



さて、前回のエントリでは「政界のガッキー」こと自民党・谷垣政調会長の記事をご紹介した。
今日は、もう1人の政界のアイドル(!?)、「マッチー」こと町村信孝官房長官の発言をご紹介したい。
<八王子殺傷>「命の大切さ教えて」町村官房長官

 町村信孝官房長官は23日午前の記者会見で、東京都八王子市で2人が死傷した通り魔事件について「命の大切さを教育現場で、あるいは家庭で、社会でしっかり教えていくところからやっていくしかない。基礎に立ち返って教育から始めていくことが必要ではないか」と述べた。

(23日、毎日新聞)

「ナイフ抹消するわけにいかない」八王子事件で町村長官

 町村信孝官房長官は23日午前の記者会見で、東京都八王子市で起きた無差別殺傷事件について、「(凶器は)どこの家庭にでもあるような包丁で、これを規制するのはちょっと考えられない。世の中からナイフのたぐいを一切抹消するわけにはいかない」と述べ、無差別殺傷事件対策としての刃物規制には限界があるとの考えを示した。

 その上で「(人の命の大切さの教育など)地道なことをしっかりやっていかないとなかなか問題への答えは出てこない」と強調した。

 また「フリーターの人が事件を起こすと、やっぱりフリーターが悪いんだと、わかりやすいから理屈を付ける。世の中からフリーターがいなくなれば一切こういう事件が起きないかといえば、そういうわけにはいかない」とも述べた。

(23日、毎日新聞)

またも通り魔事件が発生してしまった。今度は、東京・八王子でである。
テレビに出てくるコメンテーターと称される方々の中には、こういう事件が起きるのは「社会が悪い」はたまた「小泉改革が悪い」などと言う人もいるようだ。
私に言わせれば、それらは無責任極まりない発言である。

今回の事件が起きたのも、秋葉原の通り魔事件が起きたのも、社会のせいではなく、当たり前のことを書くようだが、犯人個人のせいだ。

3年前の春に発生したJR福知山線の脱線事故でも、スピード超過を起こした運転手ではなく、「日勤教育」なる方式を会社の仕事の枠組みの中に採用していたJR西日本が責められるということがあった。この時メディアには、「むしろ運転手は被害者ではないか」という意見が根強かった。

私がこの時メディアの論調に違和感を覚えたのは言うまでもない。「日勤教育」というシステムが正しいか間違っているかということは、運転手が事故を起こしたこととは別個に判断されるべき事柄であり、どんな理由であれ、事故を起こした運転手に非があるのは明らかではないか。

「日勤教育」が間接的に自己を引き起こしたという表現も可能なのかもしれないが、運転手の判断によっては事故を起こさないことが十分可能だったのであり、その常識的な事柄を忘れてJR西日本批判を繰り返す人々の見識を、私は疑った。

この国の社会がどんなに劣悪極まりない社会になっているとしても、殺人という行為は許されるべきでないのは自明の心理だ。
人間は、生まれながらにして自由かつ平等に生きる権利がある。個人・国家が個人の生命を奪うことは、いかなる理由であれ許されるべきではない(ここで死刑制度の話をすると文章が複雑になるので、今回はそのことは書かない)。

今回の事件は、「社会のせい」という言葉では片付けられない。「派遣社会のせい」という言葉でも片付けられない。
そこには、1人の人間の、間違った思考と言動がある。常識的なそのことを忘れてはならない。

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2008年06月03日

I LOVE せんとくん。

頑張れせんとくん!! ファイトだ唐ワンくん!!

平城遷都1300年祭:民間キャラ決まる まんとくん!?反響大きく /奈良

 ◇せんとくんより反響大きく、投票5万4000票−−「みんなで選んだ重み」クリエイターズ会議・大和

 デザイナーらで作る民間団体「クリエイターズ会議・大和」が、平城遷都1300年祭の独自キャラクターを「まんとくん」に決めた2日、田中功事務局長(57)は「みんなで選んだ重みがある」と語った。ホームページ(HP)と街頭で実施した市民投票に計約5万4000票が入る反響ぶりだった。【高橋恵子】

 ◇「白いマント」「万人」「満都」

 選考を続けてきた「大和」は、県庁で記者会見を開いて「まんとくん」を披露、名前の由来も明かした。

 まんとくんの名前は白いマントを羽織っていることに着目、「万人」に愛されるよう願いを込めた。選考後に「大和」と作者が相談して決めた。1300年祭に人が満ちることや、都が栄えることを表した「満都」の願いも込められている。

 まんとくんが着用しているマントは、四季に応じて模様が替わるという。北井勲選考委員長(64)は「未来に向けて色や形、素材などさまざまに変化させられる。今後のデザイン展開が期待できる」と選考ポイントの一つに挙げた。

 平城宮朱雀門を模した帽子の左右に、シカの角の形をしたしびが付けられるなどの工夫も好印象を得たという。今後、商店街のシャッターに描かれる他、企業の商品開発などでも活用を呼びかける。田中事務局長は「デザインは619点、投票は5万票を超えた。平城遷都1300年を盛り上げるよう成長させていきたい」と話している。

 まんとくんの白いマントは、平城遷都1300年の節目を表している。制作した埼玉県のデザイナー、クロガネジンザさんは「せんとくんとのツーショットが早く見てみたい」と喜んでいるという。

 県などでつくる平城遷都1300年記念事業協会の一柳茂事務局次長(58)は「せんとくんは、個性の強さで上回っている」と余裕の表情で話していた。

(3日、毎日新聞)

どこの馬の骨だか分からぬ弱小市民団体が、畏れ多くも、奈良県公式マスコット「せんとくん」に対抗し、「まんとくん」なるゆるキャラを発表した。

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左が「まんとくん」 右が「せんとくん」である。

たしかに「まんとくん」は愛らしい姿形をしているが、こんなものはありきたり、かつパクリの産物以外の何物でもない。

せんとくんは「大仏」と「鹿」という、奈良を代表する2つの象徴物をイメージに取り入れた、素晴らしいキャラクターである。
「僧侶を馬鹿にするな!」との批判も出ているが、それはまったくのお門違いである。

大事なのは、仏教という宗教的概念そのものであり、僧侶だとか、キリスト教でいうところの神父や牧師などは、宗教における絶対的観念からしていえば、何にも偉くない。
宗教の下では、信者はすべて等しく平等なのである。誰が偉いとか、誰の地位が高いとかいうことは、権威主義的な一部“自称聖職者”による、自己満足的な傲慢に過ぎないのだ。

せんとくんは、インパクトもあり、見た者に強烈な個性を発揮するキャラクターだ。

次に、昨年の彦根城築城400年祭で人気となった「ひこにゃん」なるキャラクターについてだが、これはキワモノ以外の何物でもない。

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姿形は、どこからどう見ても猫には見えず、むしろ“ゆるキャラ”を冒涜したようなものだと言えよう。

ひこにゃんに対抗するような形で作られたのが、佐賀・唐津城築城400年記念キャラクター「唐ワンくん」である。

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「舞ヅルくん」も含めて、この唐津城関連キャラクターは大変かわいらしく、動物的で、正統的なマスコット・キャラクターであるといえるだろう。

つまり、私は「せんとくん・唐ワンくん派」であり、「アンチまんとくん・ひこにゃん派」である。
せんとくんと唐ワンくんの発展的成長を祈る。



<追記>

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私の2007年カレンダー用に製作したキャラクターは、「ククゥー」だ。
白黒カレンダーということだったので、色は付けていないが、興味のあるお子様は上の画像をプリントアウトし、塗り絵として活用していただきたい。

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2008年04月25日

古館氏もつい正論をポロリ? 異常まみれの聖火リレー

一つの炎が国際社会に示しているのは、「平和と友好」ではなく「武力と弾圧」だ。

<聖火リレー>厳戒態勢に石原都知事「こっけいな話」

 東京都の石原慎太郎知事は25日の定例会見で、長野市内で行われる北京五輪聖火リレーの厳戒態勢について「こっけいな話。何のためにやるのか。市民も立ち会えず、遠くに火が走っていくのを見ても、何の感興もわかない」と批判した。

 石原知事はこれまでの会見で「聖火リレーの混乱のおかげでチベットの窮状が分かってきた」と聖火リレーに絡めた抗議活動に理解を示していた。【市川明代】

(25日、毎日新聞)

25日昼前、北京オリンピックの聖火が長野市内のホテルに到着した。
聖火と北京オリンピックの組織委員会を乗せたバスは、25日午前11時40分ごろ、長野駅前のホテルに着いた。
ホテルの前には、およそ100人の報道陣が詰めかけたほか、警察官が多数、警護にあたっていた。
一方で、組織委員会のメンバーは手を振って、笑顔で報道陣に応えていた。
長野に着いた聖火は26日、トーチに点火され、いよいよリレーが始まる。

厳重な警備体制のもと行なわれる“聖火リレー”。
何のために行なわれ、誰のためにランナーは走るのか。
24日に放送された『報道STATION』(テレビ朝日)では、古舘伊知郎キャスターが以下のように述べた。

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「私はですね、自分として思うことは、根本はチベットの人権侵害であると考えています。中国は、チベットとダルフールから手を引いて初めて、国威発揚の、オリンピック開催資格があるのではないかと考えています。
 しかし、加藤さんがおっしゃるようにですね、自主的に『中国人なんだ』『北京オリンピックを開催するんだ』って人たちに火を着けた、という部分も少なからずどっかにあるはずです。
 それは何かと考えた時にはですね、やはり一連の流れを見ておりますと、日本も含めてですがヨーロッパ各国も、中国と大変なビジネスを展開しているという事を優先するあまり、これ何だかよく分からない聖火リレーが各地で、ぼんやりとどんよりとあるいは対立を見せながら進んできている、この辺りの各国がですね、開幕式をボイコットするだしないだ、開会式、それからまた、色んな事をそれぞれ言ってますけれども基本的に立場がそこにあるというところ、ここがどうしても引っかかるんですけどね」

本日先ほど(25日)の放送では、古館キャスターは「これが“聖火”と呼べるのかどうか疑わしいですが…」と語るなど、朝日グループ系列局の制作する番組とは思えぬ“暴走”ぶりを見せている。
私としては、古舘キャスターの指摘している点はまさにその通りだと思う。
これでは、何のために聖火リレーなどというものが行なわれているのかが分からない。
これはでまるで「新成人が暴れる成人式」と同じである。つまり、「こんなもの開催して何の意味があるの?」ということだ。
一つの火を厳重に警備し、それを「守る」「守らない」と大騒ぎしているのが、本当に馬鹿らしいというか、石原慎太郎・東京都知事が述べたように「滑稽なもの」に思えてくる。

世界各地で聖火リレーが行なわれる度、チベット民族とその独立を支持するグループらによる「聖火リレー抗議活動」が派手に実施されている。
聖火リレーが行くところ、すべてのところに「反中勢力」がいる。
聖火リレーは今や、「中国によるチベット弾圧が以下に根深いものか」ということを世界に喧伝する主たる媒体となっているのだ。

「聖火リレー やればやるほど ヤケドする」

――中国共産党指導部の“ため息”が聞こえてくる。

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リンク:山口2区補選… 人間としてサイテーな民主・平岡候補
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2008年03月11日

日本の文化「鯨肉食文化」 VS 海賊「シーシェパード」

江戸時代以来の伝統文化を暴力行為で威嚇する団体を、私はけっして許さない。

日本の調査捕鯨船への妨害を続けるシーシェパードの船長を木村太郎キャスターが直撃

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 日本の調査捕鯨船への妨害活動を続けているアメリカの環境保護団体「シーシェパード」。海賊まがいの行為を繰り返している船長に、スーパーニュースの木村太郎キャスターが電話で直撃した。

 過激な抗議活動で知られるアメリカの環境保護団体「シーシェパード」のポール・ワトソン船長。
 
 ワトソン船長は、オーストラリアのテレビ番組に出演した際、「われわれは自分たちのことを、『強欲な海賊』を追いかける、『思いやりの深い海賊』だと思っています」と話していた。

 シーシェパードは、反捕鯨国のオーストラリアで英雄扱いを受ける一方、IWC(国際捕鯨委員会)では名指しで非難されている。

 このワトソン船長を木村キャスターが直撃した。

 木村キャスター「(国連は)いかなる暴力的な海賊行為も禁止していますが、あなたは海賊ですよね?」

 ワトソン船長「何とでも呼んでくれればいいよ。われわれは設立して30年になるが、人を傷つけたことはありません」

 木村キャスター「いや、日本人の乗組員をけがさせましたよ」

 ワトソン船長「してないですよ」

 木村キャスター「いいや、させましたよ」

 ワトソン船長「証拠があるんですか。証拠がないじゃないですか。われわれが投げたものは自然な無害なものだ。においはきついけど、オレンジジュースほど目がしびれることはないよ」

 3月3日、シーシェパードは、悪臭を放つ酪酸の入ったビンなど100個以上を日本の捕鯨調査船に投げ込み、日本人乗組員3人が負傷した。

 一方、自民党の中川昭一元政調会長は、9日のフジテレビの「報道2001」で、シーシェパードについて、「これは海賊行為ですね。はっきり言って」、「正当防衛として、向こうに対してきちっとした武力行為をやる必要があると思う。威嚇なり。(撃沈?)そういうこともあるでしょう」と述べた。

 これについて、ワトソン船長は「かかってきなさい。1981年にシベリアでソ連軍と対峙(たいじ)しているし、いろいろな軍と何回も対峙し、何回も撃たれたんだから、かかってこいよ。対決をしようじゃないか。日本の行為こそが暴力的だ。われわれは暴力的ではない。われわれは誰にも危害を加えていない」と述べ、あくまでも自分たちの危険な行為を正当化した。

 シーシェパードについては、2008年1月、乗組員が「第2勇新丸」に不法侵入し拘束された。

 しかし、日本の調査捕鯨船にいる間の映像を見ると、不法侵入者は談笑するなど、非常にリラックスしていた様子が見て取れる。

 日本鯨類研究所は、「彼らは着替えを持つなど、はじめから居座るつもりでいた」としている。

 不法侵入者が「第2勇新丸」にいる間、シーシェパード側はワトソン船長らが、「彼らは拘束されている」と繰り返し主張していた。

 さらに、食事を提供されると、「天ぷらが食べたい」という要望も出していた。

 彼らは居座ることによって、拘束されていることをアピールしていた。

(10日、FNN-NEWS.COM)

昨日(10日)放送の『FNN スーパーニュース』(フジテレビ)において、木村太郎キャスターが反捕鯨団体「シーシェパード」のワトソン船長に電話で直撃取材した。
上の記事はその会話のやり取りの一部始終だが、一連の「シーシェパード」の行動には目に余るものがある。

今月8日、ロンドンで開かれたIWC(国際捕鯨委員会)の中間会合でIWCは2つの声明を発表し閉幕した。
声明の一つはIWCの機能正常化に関する声明だったが、もう一つは「シーシェパード」の捕鯨妨害行為に関するもので、この声明の中ではIWCは名指しで批判を受けている。
日本の調査線捕鯨に薬品入りのビンを投げるなど妨害行為を行い、負傷者を出した「シーシェパード」に対し、IWCは「人命と財産に危険を及ぼすすべての活動は受け入れられない」として、危険行為の停止を求めた。これは全会一致で採択されている。

国際的な世論では「反捕鯨」の声が高まっているとうそぶく学者もいるが、実情を言えば、反捕鯨国は一部の欧州諸国に過ぎない。
その他「クジラを絶滅させかねない」などとの批判をいう方たちもいるが、これらについては日本捕鯨協会がホームページで反論している(こちら)。
日本捕鯨協会のホームページで分かりやすく「反捕鯨」の声に対する反論がなされているので、ぜひ読んでいただきたいと思う。

このブログでは、一点、捕鯨というものの文化的価値の観点に関する事柄を書きたい。
日本は江戸時代、鎖国をしていたために遠洋航海の出来る船を建造することは禁じられていた。
しかし、明治以降の沿岸捕鯨の近代化や沖合捕鯨の開始などにより鯨肉を入手することは可能で、日本の食卓では広く鯨肉食文化が受け入れられた。
これはノルウェーでも同様であり、現在もノルウェーは捕鯨推進国の一つである。

このように捕鯨は江戸時代以来、日本国民の舌に馴染んできた食材の一つであることは間違いなく、小学校などの給食で「鯨肉の竜田揚げ」などが支給されてきたことからもそれは察せられるだろう。
日本の捕鯨が我が国の伝統文化であることにもはや反論の余地はなく、今後も鯨肉食文化は維持されるべきものであると考えるが、いかがだろうか。
仮に鯨肉を食することを否定するのであれば、同様に牛肉や豚肉を食することも否定されなければいけなくなってくる。――このように書けば、反捕鯨団体の主張が如何に実情を見ていない稚拙なものであるか、お分かりいただけるかと思う。

その上で、私は「反捕鯨」の声の一つひとつにも耳を傾けたいと思う。そして一つひとつに対して、しっかりと「捕鯨は生物学的にも倫理的にも何ら問題はない」ということを主張していきたいと思う。
しかし、「シーシェパード」のように危険行為を行ってくる団体を相手にするとなれば、話は別だ。
あらゆる団体やNGOが「反捕鯨」を主張することは大いに容認するが、他者に対して殺傷行為をしてまで反捕鯨運動をするとなれば、その団体はもはやテロリスト集団である。木村太郎キャスターが指摘したように「海賊」であるとも言えよう。
暴力を行使して言論・思想の自由を侵すということは、民主主義にあって断じて許されないことであり、一刻も早く根絶しなければならないものでもある。
私は「シーシェパード」の連中が行なってきた危険行為を、もはや日本国民としてだけではなく、この地球に生きる者の一人として許すことができない。

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2008年01月11日

青森家族殺害 逮捕された18歳少年に「心の闇」など存在しない

この世の中に「心の闇」なるものは存在しない。殺人犯を珍しがる風潮こそが、問題である。

青森家族殺害 刺した後放火? 長男「自分がやった」

 9日午後10時40分ごろ、青森県八戸市根城(ねじょう)のアパート2階の1室をほぼ全焼し、焼け跡から▽母(43)▽市立中3年の次男(15)▽同1年の長女(13)の母子3人の遺体が見つかった。いずれも刃物で切られたとみられる傷があり、県警八戸署は殺人事件と断定し捜査本部を設置した。無職の長男(18)の行方が一時分からず、10日午前6時5分ごろ、JR八戸駅で発見し、刃物を持っていたため銃刀法違反の疑いで現行犯逮捕した。長男は殺害も「自分がやった」と認め、殺人と放火の容疑でも追及している。

 調べでは、遺体は居間の布団1枚の上に川の字に並べられ、火災による損傷はほとんどなかった。3人とも普段着姿で、母の首と腹、子供2人の首に切り傷や刺し傷があり、母の腕には争って切られたとみられる傷があった。玄関の鍵は掛けられていた。同署は遺体の状況などから、3人が刃物で殺害された後に放火されたとみて調べている。

 一家は母子4人暮らしで、長男は出火直後から行方が分からなくなっていた。同署は緊急配備し、署員がアパートから西約2キロの八戸駅構内で職務質問すると、「近づくな」と叫んでサバイバルナイフ(刃渡り25センチ、全長48.5センチ)を振り回して逃げたため、署員数人が取り押さえた。上着の内側に刃渡り8〜13センチのナイフを6本隠し持っていた。長男はナイフ所持の理由について、あいまいな供述を続けているという。

 周辺の住人らによると、長男は学校へは行っておらず、自宅に引きこもりがちで、家族に暴力を振るうことがあったらしい。ナイフやエアガンを収集しており、数年前には室内に灯油をまいて立てこもり騒ぎを起こしたとの証言もある。

 火災は、9日午後10時40分ごろ、アパートから煙が出ているのに気づいた近所の住人が119番通報し、約40分後に火は消し止められた。1階に4世帯、2階に5世帯分の部屋があるが、ほかにけが人はいなかった。現場は八戸市役所の西約3キロの住宅街で、近くに幹線道路が走る。【長沢晴美、後藤豪】

(11日、毎日新聞)

八戸の3遺体:同級生ら、衝撃と悲しみ 「柔道頑張ってたのに」 /青森

 ◇次男・長女の中学、きょう全校集会

 なぜ殺されなければいけなかったのか――。八戸市根城のアパートが焼け、室内から母子3人の遺体が見つかった事件では、中学3年の次男(15)と1年の長女(13)が、長男(18)によって命を奪われたとみられる。次男と長女が通っていた八戸市立中学の関係者や同級生の間には、突然の凶行で衝撃と悲しみが広がった。【太田圭介、野宮珠里、矢澤秀範】

 中学は10日朝、校長らが会見し、生前の2人の学校生活を思い出して声を震わせた。2人はともに柔道部に所属。次男は昨年6月の市内の中学校が競う大会で、団体の部で主力として活躍した。長女も昨年11月の大会で負けた悔しさをバネに、練習に打ち込んでいたという。

 次男は3者面談で「建築関係の資格を取りたい」と将来の夢を話し、来春の公立高校進学に向けて、冬休み中の学習会にも休まず参加していた。火災があった9日も昼まで勉強会に参加していた。長女は学校の作文で「介護師になりたい」と書き、生徒会の活動にも積極的に参加するなど、まじめな生徒だったという。

 2人の同級生らもショックを隠せない。次男の後輩の男子生徒は「(次男は)明るくて笑顔がすてきだった。9日に学校に来ている姿を見かけたのに、今朝テレビで(事件を)知ってびっくりした」と話した。また、長女と同級生の男子生徒(13)も「柔道部で頑張っていたのに、こんなことになるなんて」と話した。

 学校側は、生徒に動揺が広がっているとして市教委にカウンセラーの派遣を要請し、今後生徒の心のケアに努める。11日には全校集会を開き、生徒に事件を報告する。

 ◇住民、長男の異常行動指摘

 一方、近所の住民の話を総合すると、銃刀法違反容疑で逮捕された長男はナイフやエアガンを集めたり、テレビゲームをしている次男の背中に突然エアガンを撃つなど異常な行動が目立ったという。

 次男の同級生の1人は「母と次男、長女は本当に仲がよく、みんな明るかった」と話す。だが、長男については「あまり人柄は良くなかった」と話す。この同級生は、「『朝起きたら長男に首にナイフを突きつけられた』という話を次男から聞いた」という。

 長男は中学生のころから自宅にひきこもっていたという。一家がよく訪れた近くの喫茶店の女性経営者(54)には「小説を書いている。一回読んでね」と話すなど、打ち解けた様子も見せていた。昨年10月には「小説を書いているので、パソコンかワープロが欲しい」と話していたという。

 女性は「そんな悪い子には見えなかった」と語る一方で、「次男と長女が兄を怒らせないように気遣っているようだった。いつかこんなことが起こるのではという思いもあった。もっと周囲の大人が(長男を)フォローしてあげていてもよかったのだろう」とも振り返った。

(11日、毎日新聞)

このブログは永田町の話題を重点的に取り上げるブログでありながら、時たま社会ニュースもご紹介する。
その中で取り上げることが断然に多いのは、少年少女が事件に巻き込まれるというニュースだ。
時にそれは「いじめ殺人」であったり、「小学生らの殺害」であったりするわけだが、今夜取り上げるのは、青森で起きた、18歳少年による家族3人の殺害・放火事件である。

昨夜(10日)の『FNN ニュースJAPAN』(フジテレビ)で箕輪幸人解説委員が指摘していた通り、私たちは、加害者青少年に対し「心の闇を抱えていたのだろう」などと、「心の闇」という言葉を安易に使用する傾向がある。
これらはすべて、殺人事件や重大事件を起こす青少年は、みな心に闇を抱いているという発想だ。
しかし、これは、加害者少年は我々には理解できないような特別な精神性(=「心の闇」)を抱いていたのだという考え方であり、要は、思考放棄である。

私は、これはおかしいと思う。
重大事件を引き起こす加害者青少年が持っているのは、「心の闇」などではない。そもそも、心に「光」も「闇」も存在しない。
そこに存在するのは、ただ一つの「心」である。「精神」である。加害者少年らは、けっして、一般人が理解できないような「心の闇」を抱いているわけではないのだ。
私に言わせれば、今日の社会では、重大事件を起こす青少年らは「普通の青少年」であり、逆に、何も事件を起こさない青少年らは「異常な青少年」である。
人を殺さなかったり、家族に暴力を振るわなかったり、商店街で刃物を持ち歩きながら暴走しないような少年らは、みな「異常な青少年」なのだ。21世紀の日本の現代社会では、彼らこそ、稀有な存在なのだ。

加害者が「心の闇」を抱えた特別な存在である――つまり、事件を引き起こすような人間は、平常の私たちの生活には関連し得ない人物だという考え方は、たしかに受け入れすい考え方だ。
しかし、そこで思考停止してしまっては、青少年らがどうして重大事件を引き起こすのかという問いに対して、本質的な答えを示すことはできないままである。

今回、青森で母ときょうだいを殺害した18歳の無職少年は、けっして「異常な少年」などではない。小学校の時から引きこもりを続け、弟が寝ている際に弟の首に刃物を当てるような人間は、今日の社会ではけっして「異常な人間」などではない。
ある年度の文部科学省の調査では、割合的にいえば、中学校の1クラスに最低1人は不登校生徒が存在するという。弟の首に刃物を当てる行為が当然の行為であるかどうかは一概には判断できないが、むしろ、彼のような人物こそが「正常な人間」なのだ。

人を殺すことは簡単だ。刃物が一本あればよい。
そして、「人を殺すという行為」を一時的にでさえ“問題のない行為”だと認識することができれば、合理的で理性的な精神状態の下、人を殺すことが出来るだろう。
18歳少年の精神状態を完全に把握することは、不可能だ。しかし、我々は「人を殺すという行為」をいけない行為だと認識している限りにおいて、正常な人間なのだと、自らを位置づけるのである。
必要となるのは、18歳少年が「心の闇」を抱いている特別な人間であったのだと妄想することなのではなく、自分自身や、自分に近い人間が、いつ重大事件を引き起こしてもおかしくないということを理解することだ。

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2007年12月09日

杉並区立和田中の「夜スペシャル」に深い心配

「教育格差」を広がらせるような行為を、公立学校が導入するとはいかがなものか。

<塾講師>公立中に招き夜間授業 東京・杉並

 リクルート出身の藤原和博氏が校長を務める東京都杉並区立和田中学校で、来年1月から、大手進学塾「サピックス」(中央区)の講師を招き、2年生を対象に夜間、学力向上に向けた授業をすることが分かった。保護者から授業料を集め希望する生徒を対象にするという。公立中の中で進学塾が定期的な授業をするのは極めて異例で、公立学校と塾のあり方をめぐり、波紋を広げそうだ。

 関係者によると、授業は「夜スペシャル」と名付け、保護者らで構成し、同中を地域ぐるみで支援する「和田中地域本部」が主催する形を取る。

 授業は国語と数学、英語の3教科で、月、水、金、土の週4日。平日は午後6時半〜同9時半。生徒は休憩を取りながら1日3コマを受講する。土曜日は午前9時〜正午で、英語のみという。平日コースと平日・土曜日コースの2コースを設け、入塾試験も実施する。生徒のレベルを見ながら授業を展開する。

 和田中では、これまでの暗記を重視した授業を疑問視し、物事に対する「論理的思考力」を鍛える方法を模索してきた。今回の試みもその一環で、サピックスの講師と同中の教諭とが連携し、思考力を鍛える教材を共同開発し、その教材を使いながら、サピックスの講師が授業をする。授業料はサピックスの料金の半額に設定し、保護者側が支払って生徒が受講するシステムになるという。

 1月から試行的に始め、4月から本格実施したいとしている。

 藤原校長は、03年4月に東京都の公立学校では初の民間出身校長として就任。授業の知識を世の中でどう生かすかを学ぶ「よのなか」科を導入するなど、先進的な取り組みで知られる。

 来年3月の退任が決まっており、後任は、教育関連会社「トップアスリート」社長の代田昭久さんが務めることになっている。【三木幸治】

 ▽教育評論家、尾木直樹さんの話 学校の塾化が進むだけで総合的な学力向上にはつながらず、やめた方がいい。塾は教え込むやり方で知識をつけるにはいいが、安全で安心な居場所を確保し、子どもが自ら学ぶように促す学校の役割とは異なる。子どもが先生を見る目も変わり、塾の講師を学校の先生より上に見てしまうだろう。

 ▽兵庫教育大学長で中央教育審議会副会長、梶田叡一さんの話 学校にいながら安い値段で塾の授業が受けられるのは、生徒の望む学習機会を提供するという観点から評価できる。日本人の多くは抵抗があるかもしれない。だがこれまでどちらかと言えば、陰の存在だった塾を白日の下にさらすことになる。その結果、学校と塾の指導方針が違って子どもが迷うといった弊害が少なくなり、きっちりとした学力形成につながる。

(9日、毎日新聞)

以前から、東京・杉並区立和田中学校の取り組みは気になっていた。
公立学校初となる民間人校長に藤原和博氏が就任し、「よのなか科」を始めるなど、急進的ともいえる和田中の動きを注視していた人は、私だけではないだろう。

TBSのドラマ『3年B組金八先生』でも、数年前に放送された第7シリーズで「民間人校長」の話題が取り上げられていたと思うが、今朝の毎日新聞の記事を読んで、私の“心配”はますます深まった。
なんと平日の平常授業後、すなわち“放課後”に、塾の講師を学校に招いて、希望する生徒を対象に午後9時30分まで特別授業(「夜スペシャル」)を行うという。
同様なことは土曜日の午前にも行われるそうで、しかも希望する生徒の保護者からはこの特別授業用に「別料金」を徴収するそうだ。

今朝の毎日新聞を読んで、単純な「疑問たち」が私に湧いた。

この特別授業には、経済的に余裕のある家庭の生徒しか参加することが出来ず、「経済格差」から生じる「教育格差」の問題が、さらに深まってしまうのではないか。

生徒の知識・教養レベルを向上させることは、“放課後”ではなく、平常時間内で取り組めるカリキュラムを組んで、平常時間内に実施すべきことではないのか。

午後9時30分まで特別授業を行うという、事実上の「9時間制」は、結果、生徒たちが“精神的ゆとり”をもって学習することを阻害してしまうのではないか。
それとも初めから、和田中学校としては、生徒たちの“精神的ゆとり”などどうでもいいと考えているのだろうか?

この特別授業の取り組みでは、単に塾の経営を公立学校が協力に援助する結果しか生み出さない。
つまり、「学校公認の塾」を新たに設置することは生徒たちにとって好ましいことなのかどうか。
学校側は「希望する生徒だけ参加すればいい」と言うだろうが、学校側が「教育格差」の深化を促進するような行為は、経済的に余裕のない家庭の生徒たちの学力に悪しき影響を及ぼす気がする。

「勉強時間量」が生徒たちの学力に多大な影響を与えることは、明らかである。勉強すればするだけ、子供たちの学力は向上するのだ。
藤原校長が、本当に子供たちの学力を向上させたいと思うのなら、平日6時間までの授業時間内で対応できるようなカリキュラムを作るべきであり、今回、公立学校が「教育格差」を押し広げるようなことを決定するとは、とても正気の沙汰とは思えない。

「教育」に市場原理は似合わない。
「教育格差」の拡大は、阻止されなければならない。
――これが私の結論であり、これからの次代を担う子供たちを考えるにあたっての、最大の心配の種である。

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2007年09月27日

この際、相撲は廃止しろ

これでは「国技」ではなく、「酷技」だ。
時津風親方 「通常のけいこ」一転 遺族に暴行認める

 「通常のけいこ」のウラには部屋ぐるみのリンチが隠されていた。大相撲時津風部屋の序口力士、斉藤俊さん(当時17歳)=時太山(ときたいざん)、新潟県出身=の急死は、親方がビール瓶で殴り、兄弟子が集団暴行した傷害致死事件に発展する見通しとなった。名横綱・双葉山が興した名門部屋で何があったのか。朝青龍問題で揺れていた角界に前代未聞の不祥事が追い打ちをかけた。

 「『通常のけいこ』と説明していたのに……。全く信用できない」−−。死亡した斉藤さんの父正人さん(50)は26日、新潟市の自宅で悔しさに唇をかんだ。

 今年6月26日深夜、亡くなった愛知県犬山市のけいこ場から自宅に運ばれた斉藤さんの遺体の傷を目にして、遺族は言葉を失った。割れた額、腫れ上がった顔、全身に無数のあざ、足にたばこを押しつけたような複数の跡−−。

 無残な遺体を前に、時津風親方は「通常のけいこだった」と遺族に説明した。正人さんは「普通のけいこじゃないと思った。あれじゃ幕内力士でも死んでしまう。相撲のけいこの名の下に殺されたんだ」。抗議したが、親方の説明は変わらなかった。

 しかし8月6日、時津風親方は斉藤家を訪れ、一転して正人さんら遺族に自分や弟子の暴行を認めたという。

 亡くなる前日の6月25日夜、酒席で親方自身がビール瓶で斉藤さんの額を殴ったこと。その後、弟子3、4人がけいこ場の調理室裏で、斉藤さんに殴るけるの集団リンチを加えたこと。親方はそれらを警察に話したと遺族に報告したが「死亡はあくまでけいこ中だった」と釈明したという。正人さんは「親方はリンチを知っていたようで、あきれて言葉を失った。最初は全く認めていなかったのに」と悔しさをにじませた。

 さらに正人さんは「相撲界ではこういうことが許されてきたのだろうが、立件されれば体質も変わる。もう息子は帰ってこないが、力士を目指す若い人のためにも真実を明らかにして、2度と同じことが起こらないようにしてほしい」と話した。【岡田英】


 ◇シャッター閉じ裏口に「準備中」…両国・時津風部屋

 東京都墨田区両国の時津風部屋には、26日早朝から報道陣が詰めかけたが、力士らの出入りはほとんどなかった。

 同部屋は10階建てマンションの1、2階にあり、3階に時津風親方の住居がある。相撲部屋の玄関には「双葉山相撲道場」と「時津風部屋」の看板が掛けられ、シャッターは閉じられたまま。裏口の力士玄関には「準備中」の札があった。

 午前7時45分、部屋を出た若い力士を記者、カメラマンが取り囲んだ。「親方は?」の質問に浴衣姿の力士は「部屋にはいないんじゃないですか」と答え、足早にタクシーに乗り込んだ。秋場所が終わったばかりでけいこは休みだという。【佐藤賢二郎】


 ◇温厚な性格で知られる…時津風親方

 時津風親方は、63年秋場所、第35代横綱・双葉山の指導する部屋で初土俵。現役時は双津竜のしこ名で72年春に入幕。幕内に定着したのは70年代後半で、北の湖より大きく、高見山に次ぐ170キロの巨体を生かした相撲に特色があった。幕内は29場所務め、最高位は79年名古屋の小結1場所。幕内通算186勝226敗23休。82年九州場所で引退後は年寄「錦島」を襲名し、審判委員などを務めた。02年に時津風部屋を継承した。

 温厚な性格で知られており、今年夏場所前には、弟子の豊ノ島が出げいこに来た朝青龍とのけいこで右ひざを負傷。この時には「相手を受けて立つのがけいこの常道なのに、負傷させては相手に恐怖感を植え付けるだけ。こうしたけいこはいかがなものか」と語り、高砂親方に電話で抗議したこともあった。【上鵜瀬浄】


 ◇完全な暴力だ

 スポーツジャーナリストの二宮清純さんの話 相撲界には昔から「しごき」がある。多くは力をつけさせるために「もう少し」と鍛える愛のムチのようなものだが、仮にビール瓶で殴ったりしていたとしたら完全な暴力だ。力士が1人死亡するほどの重大事なのに、相撲協会の調査などの動きは鈍く、真相究明に熱心とは思えなかった。協会は相撲や力士の品格を強調する前に、親方の質を問うべきだろう。力士を目指す若者が減っているだけに、こうしたことが起きるのは非常に遺憾だ。


 ◇指導いきすぎた

 元NHKアナウンサーで相撲ジャーナリストの杉山邦博さんの話 極めて残念だ。相撲の世界は厳しさの中にも師弟関係を大事にし、激しい稽古の中で時に良かれと思って厳しく指導することは過去にもあった。まれに竹刀などを使って厳しく指導した場合もあったが、当然、度を超してはいけない。今回はその範囲を超えて、ある種の制裁的なこともあったやに聞いている。厳しさが求められる勝負の世界で、過保護の時代を反映してややもすると指導が甘すぎるという批判もあるが、だからといって今回のようなことは決してあってはならない。協会も大切な子どもさんを預かっているのだから、配慮の行き届いた指導が望まれる。

(27日、毎日新聞)

<力士急死>遺体はこちらで火葬 時津風部屋が遺族に電話

 愛知県犬山市で今年6月、大相撲時津風部屋の序ノ口力士、時太山(ときたいざん)=本名・斉藤俊(たかし)さん(当時17歳)がけいこ中に急死した問題で、斉藤さんが死亡した同26日当日、時津風部屋から新潟市に住む遺族に「(遺体は)こちらで取り仕切りますから」と、現地での火葬を示唆する電話があったことがわかった。遺族は「暴行の跡を隠そうとしたのではないか」と批判している。

 遺族によると、同日午後4時ごろ、部屋側から斉藤さんの実家に電話があり、火葬の準備を進めている旨が伝えられたという。疑問を抱いた遺族側が「それは困る。こちらから迎えに行く」などと抗議すると、部屋側は実家への搬送を手配したという。

 斉藤さんの遺体を見た遺族は、額に残った切り傷や激しい打撲の跡、たばこを押しつけられたようなやけどなどを見てショックを受け、翌27日、弔問に訪れた時津風親方に説明を求めたが、親方は「通常のけいこでできたもの」と釈明し、火葬の準備についても「隠すためにやったわけではない」と繰り返した。

 死因は当初、「虚血性心疾患」とされたが、納得できない遺族は遺体を解剖して真相を究明するよう愛知県警などに要請。新潟大での行政解剖で「多発外傷によるショック死が考えられる」と判断された。【岡田英】

(27日、毎日新聞)

とても信じられない前代未聞の“事件”。
時津風部屋で行われていたのは、“通常のけいこ”でも“かわいがり”でもなく、集団リンチ、暴行殺人である。
当初、時津風親方が「火葬して骨をよこす」ことをしようとしたというが、これは“リンチ殺人隠ぺい工作”以外の何ものでもない。

先日、史上初めて土俵に女性が上がるというハプニングがあったことだし、この際、江戸時代からの伝統の維持はあきらめて、相撲を廃止してはどうか。
このような有様で「国技」を騙るなど、悪ふざけにもほどがある。今や、相撲には何の権威もなければ、何の価値もない。
相撲界を興隆させるため、各部屋の各力士が大変な努力をしていることは、私も知っている。先月の「地方巡業」でも、多くの力士がファンサービス精神を発揮し、相撲を“面白いもの”とするよう努力していた。
しかしながら、もはや相撲は悪のスポーツでしかなく、力士は殺人者、部屋はリンチ現場である。
ここまで来たら、これまでの長き伝統を2007年9月をもって廃止するしかない。
人はこれを「暴論」というかもしれないが、「国技」相撲を愛する人間として、また、日本の伝統文化を心から愛する人間として、私は相撲の廃止を訴えたい。


さて、話はガラッと変わるが、昨日(26日)発足した福田康夫内閣で文部科学相に就任した渡海紀三朗氏が、昨日、私も懸案事項と思っていた「教育バウチャー制度」について見解を示した。

<渡海文科相>競争原理の導入に否定的な見解

 渡海紀三朗文部科学相は26日、安倍晋三前首相の教育改革路線とされる競争原理の導入について「義務教育には持ち込むべきではない。基本的には学校間の競争は極力さけなければいけない」と否定的な見解を示した。また、政府の教育再生会議が導入を検討している教育バウチャー(利用券)制度にも、慎重な姿勢を示した。

 渡海文科相は「教育は市場原理になじまない。市場原理主義で物事を進めると、社会にひずみが生じ、格差を生み出す」と述べた。バウチャー制度についても「バウチャーをもらっても(学校を)選ぶところがないという地域的な問題が解けない」と安倍路線との違いを見せた。

 さらに、道徳を名称変更し、徳育にするという再生会議の提言には「言葉は重要ではない。(中身を)しっかりやっていくべきだ。なぜそう言わなければいけないのか聞いてみたい」と述べた。【高山純二】

(27日、毎日新聞)

渡海文科相の指摘した点は、まさしくその通りだ。
はたして「教育産業」なるものは必要なのか。あるいは、教育現場に競争原理を用入れることが必要なのか。
「教育バウチャー」をめぐって、“教育格差”がさらに広がるような事態も考えられるから、教育再生会議の判断のみでもって「教育バウチャー制」の導入が決定されることは危うく思われる。
もちろん、最終的な判断は中央教育審議会に委ねられるから、教育再生会議の決定がダイレクトに反映されることはないが、教育再生会議には、もう少し慎重に問題点を見つめる姿勢も大事だと思う。

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2007年08月29日

誰のため、何のための「少年法」なのか

事情がどうあれ、許されるべきものではない。

夜の公園で同級生が集団暴行、高3男子生徒死亡…函館

 26日午後10時40分ごろ、北海道函館市昭和町の昭和公園で、同市富岡町、函館大有斗高3年、佐藤智也さん(18)が倒れているのを巡回に来た警備員が見つけた。

 佐藤さんは病院に運ばれたが、硬膜下血腫(けっしゅ)で死亡した。

 道警函館西署は27日、佐藤さんの中学時代の同級生1人を含む15〜18歳の少年7人を、傷害致死容疑で逮捕した。調べによると、7人のうち6人は高校生、1人は無職。7人は26日午後7時半ごろ、同市富岡町の富岡中央公園で、佐藤さんに「タイマン(1対1のけんか)をはろう」などと言って、殴るけるの暴行をし、その後、昭和公園に場所を移し、素手や金属バットで殴り続け、死亡させた疑い。


高3暴行死、2時間以上もリンチ…現場には中学生ら十数人

 北海道函館市の公園で函館大有斗高3年、佐藤智也さん(18)が集団暴行を受けて死亡した事件で、傷害致死容疑で逮捕された中学の同級生や後輩など15〜18歳の7人の少年による暴行は2時間以上にわたって行われ、中学生や少女を含む十数人が見ていたことが28日、函館西署の調べで明らかになった。

 倒れて動かなくなった佐藤さんの意識を回復させようと水をかけ、逃げ去っていたこともわかった。少年らは「日ごろから(佐藤さんを)いじめていた」「佐藤さんが金銭問題で友人同士の仲たがいの原因を作った」などと話しており、同署が詳しい動機を調べている。

 調べによると、佐藤さんは、現場とは別の公園で遊んでいたところ、少年4人に呼び出され、同市富岡町の富岡中央公園に行った。そこで、佐藤さん一人をサッカーのゴールキーパーにしてPKをしているうちに、少年の数は十数人に増えた。

(28日、読売新聞)

少年7人は、26日午後7時30分ごろから、市内の富岡中央公園で佐藤さんにサッカーのゴールキーパーをやらせ、ボールを次々に蹴ったという。
佐藤さんはやめるよう頼んだが、少年の1人が「けんかするぞ」と言って金属バットで佐藤さんを殴打。
残りの少年も暴行に加担し、その後、佐藤さんを自転車で近くの昭和公園に移動させ、池に蹴り落としたり、金属バットで背中などを殴って死亡させた。

佐藤さんは母親(46)に「友人と、ある場所に行ってくる」と言って自転車で1人で出掛けた。
佐藤さんは約1週間前にもひじを怪我し、その時は母親に「自転車で転んだ」と話していたが、函館西署は以前から暴行が繰り返されていた可能性があるとみて捜査を進めている。
逮捕された少年の1人は「お金をもらう約束が守られなかった」と供述しているという。

名古屋市での女性拉致・殺害事件もそうだが、とても人間の所業とは思えない狂気の犯行が国内で続いている。
以前、民主党の“ネクスト法務大臣”である平岡秀夫参院議員が「少年の犯した事件では、加害者にも事情がある」と話したことはこのブログでも取り上げたが、どんな事情や背景があれ、殺人行為は許されざる行為である。
「殺人」という言葉を、「暴行」「いじめ」などの言葉に置き換えても同様である。

ましてや、今回の事件は集団で1人を集中的に“虐殺”したものであり、被害者である佐藤さんがどういう気持ちで死んでいかねばならなかったのだろうかと考えると、やりきれない。
しかも、今回集団暴行が起きていたことを、周囲のギャラリーは見物していたといい、その中の誰1人として警察に通報するなどの行動を起こしていないことには、あ然とする。
日本という国はいつから、集団で1人の人間にボールをぶつけ、池に蹴落とし、金属バットで殴打する行為が、公然と見物の対象となるような国になってしまったのか。

被害者の名前や写真は野ざらしにし、税金でもって加害者の将来を保障するというのが現行の「少年法の精神」である。
加害者が20歳未満なら、集団虐殺しても、集団暴行しても、加害者の名前も写真も出ないし、受ける刑罰も軽い。
ただでさえ苦しんで殺された被害者に、その死後もひどい仕打ちをさせ、加害者を厚遇し、一般社会で易々と生きていくことが出来るようにする「少年法」に、一体何の意味があるのだろう。
こんなものは一刻も早くなくすべきで、それが出来ないのならば、少年法の厳罰化を即座に実施すべきである。
それが、“ネクスト法務大臣”を抱える野党第一党やら、広島県選出の“郵政造反組”政治家などの反発により、実施できないでいる。

なぜ、被害者は二度も殺されなければならないのに、加害者は名前も顔も知られず、刑務所という場所での生活と出所後の生活を税金で保障されるのか。
誰のための「少年法」なのか。何のための「少年法」なのか。例えば、20歳と19歳の差とは何なのか。
「少年法」にはすべての矛盾が含まれている。こんな不条理がまかり通るのを見過ごしていてよいわけがない。

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2007年06月07日

いつまでも、どこまでも「政治問題」

「靖国問題」が存在したのが、遠い昔のように思える。

李登輝前総統 靖国神社を参拝 「個人的な事情」と説明

 来日中の台湾の李登輝前総統(84)は7日、東京・九段の靖国神社を参拝した。靖国神社には旧日本軍人としてフィリピンで戦死した2歳上の兄・李登欽氏が祭られており、李氏は以前から参拝を希望していた。中国は李氏を「台湾独立分子」と非難し、総統退任後初の東京訪問に抗議していた。8日にドイツで安倍晋三首相と胡錦濤国家主席による日中首脳会談が予定されており、その直前の靖国参拝によって中国は日本への反発姿勢を強めるとみられる。
 参拝前、李氏は「62年前に(台湾南部の)高雄で兄と別れて以来、私の家には遺髪も遺骨も位牌(いはい)もない。家族の一人として兄への尊敬の気持ちから参拝しなければならない」と説明。「(参拝は)全く個人的な事情であり、政治的にも歴史的にも何も考えないでほしい」と強調した。参拝後、「62年ぶりに兄に会えて涙が出ます」と報道陣に語った。
 高齢な李氏は周囲に「最後の訪日となるかもしれない」と漏らしていた。また、「中国が靖国問題での批判の矛先を私に向けるのはおかしい」などとも述べていた。
 李氏は小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝について雑誌のインタビューに「多くの若者たちが国のために命をささげたにもかかわらず、この国のトップがそれに目を向けないのは大きな問題だ」などと述べ、参拝を支持する姿勢を明確にしていた。
 今年4月に訪日した中国の温家宝首相は「台湾」と「靖国」の二つの問題で、日本政府にクギを刺していた。李氏が訪日した5月30日、中国国務院台湾事務弁公室の李維一報道官は「台湾独立分子に活動の舞台を提供しないことを希望する」と日本をけん制していた。
 靖国神社へは05年4月、李氏を精神的指導者とする台湾政党「台湾団結連盟」の蘇進強主席(当時)が所属議員とともに参拝している。【鈴木玲子】

(7日、毎日新聞)


参拝には曽文恵夫人や、作家で、保守派の論客として有名な三浦朱門・曽野綾子夫妻、西村真悟衆院議員らが同行した。
靖国神社側によると、李氏は本殿で昇殿参拝、遺族として参拝したという。
曽野さんによると、李氏は靖国側の指示に従い、おはらいを受けた後に本殿で一礼したとのことだ。

初サミットでドイツを訪問中の安倍首相の留守を預かっている、塩崎恭久官房長官は、「私人としての行動で、政府としてコメントすることはない」と述べている。

中国側は、当然のことながら李氏の参拝に反発したが、ようやく“氷の解けてきた”日中関係に亀裂を持たせるべきほどのものでもない、と考えているというのが本音だろう。

亡き兄の魂の眠る神社に訪れたい、というのは、人間として当然の感情だろう。
それに反発しているのは、“台湾独立派”を忌み嫌う特定の一国に過ぎず、靖国参拝を「政治問題」と位置付けているのも、特定の一国(ないしは二国)に過ぎない。
思えば日本は、靖国問題を「政治問題」とする国々の論調に押され、メディアも含めて、靖国問題を騒ぎすぎた。
「日本人が、戦没者をどう追悼するか」ではなく、「近隣諸国がどう反応するか」という問題なのだと、勝手に仕立て上げた。日本人自ら、仕立て上げた。

神社を参拝することが「政治問題」ならば、日本人はなんと政治活動の好きな民族なことか。もう少し選挙の得票率が高くてもいいようなものだ。
「いや、靖国神社は普通の神社とは違う」と言うならば、それは、靖国神社を特別視しすぎである。
現在、靖国神社は、政界とはまったくもって無縁とされる存在であり、軍国主義を浮上させるほどの影響力を持ち得ない。政治問題になりようがないのである。

いつから中国は、こんなに小手先の政治をしだすようになったのか。
何しろ四千年の歴史を持つ国である。中国がなければ、今日の日本はありえなかった。そもそも、日本という国が存在し得なかっただろう。
日本には、中国以上の言論の自由がある。言論の自由とは、思想の自由であり、多種多様な価値観を手にするチャンスと比例する。

いつまでもヒステリックに騒ぎ続けるから、中国が一昔前のパフォーマンスをしているように感じられる。
圧倒的なスケールで、もう少し冷静な、包容力のあるような外交姿勢を打ち出さないと、今時の日本人はだませない。
日本の側から「60年前のことは忘れろ」とは言わない。ただ、中国には、もう少し“大人”になってほしいのだ。
タグ:日中関係
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2007年05月03日

“昭和30年代村”という幻想

いつか来た道とは、まさにこのことだ。

報道関係者各位
プレスリリース                2004年4月15日
                     ツカサグループ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆◆◆生き甲斐が持てる介護の村 村ごとウィークリーマンション! ◆◆◆
 ◆◆◆ 家族4人で1週間10万円で過ごせるテーマパーク ◆◆◆
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ツカサグループ、究極の新規事業『昭和30年村計画』を発表
         http://www.222.co.jp/s30vil/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
♪アドレスはにゃんにゃんにゃんてんコてんジェイピー のTVCMでお馴染みの
ツカサ都心開発株式会社(本社:東京都品川区、代表:川又 三智彦)は、全
く新しい「土地の有効活用」「人材の発掘と育成・支援」を目的とした町ごと
テーマパーク『昭和30年代村計画』構想を発表、現在用地を募集しています。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『昭和30年代村計画』とは
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
土地の有効活用と人材の発掘と育成を目的とした、戦後から高度経済成長期ま
で昭和30年代の古き良き時代の日本を再現し、ひとつの自治体として作り上げ
るというプロジェクトです。

人々の温かさ・人情味にふれ合い「懐かしさ」と「新鮮さ」が融合する、世代
を超えた癒しの複合テーマパークとして、土地活用問題、介護問題、住居問題、
雇用問題、職人技術の保存、そして子供の人格教育といった、現代社会の中で
増えつつある深刻な問題の解決を目指します。


以上は、2004年4月に掲載された@Pressからの引用だが、ついにこのような“村”が、静岡県・伊東市に誕生することが決まった。

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」をきっかけに、とでも言うのだろうか、“昭和30年代”ブームが続いている。
過去にノスタルジーを感じるのは人間として当然のことだし、気持ちはよく分かる。
しかし、本当に、こんな“村”が出来てよいのだろうか。

このニュースを聞いたとき、頭に浮かんだのは、映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」(2001年)である。

この映画は、昭和の時代を再現したテーマパーク“20世紀博”が全国各地で開かれることから始まる。
野原しんのすけの父・ひろしや母・みさえもまた、この“20世紀博”に夢中になっていく。
次第に、世の大人たちは、昔懐かしい夢や希望にあふれた時代に郷愁を感じて、現代社会で生きることを放棄し、“子ども”へと戻っていく――というストーリーだ。

昭和30年代は、緑も多く、地域コミュニティーもしっかりとしていて、みんなが前向きに生きていこうとしていた、素晴らしい時代だったかもしれない。
しかし、その時代を再現したテーマパークに定住するということは、私は、あくまで幻想にしかすぎないと思っている。
現在の社会から逃避し、昔懐かしい時代を再現したテーマパークで、昔のような暮らしをするということは、「いつか来た道」に後退し、未来への前進を放棄するということだ。

私たちは、望むと望まないとに関わらず、未来に向かって生きていくことしか出来ない。また、そうしなければならないのだろうと思う。
未来には苦難があり、凶悪犯罪があり、ネガティブなことばかりが待っているかもしれない。
しかし、我々が“過去”に生きることは、今後、時間と共に生きる“人間”として生きることをあきらめ、逃げることだ。

“過去”は、“過去”だからいいのだ。
“過去”だから、よかったと思えるのだ。
私は、今、改めて問いたい。
昭和30年代は本当によい時代だったのか? 本当に素晴らしい時代だったのか?
あの時代に戻れば、犯罪は起きないだろうか? あの時代に生きればみんな幸せだろうか?
そして、あなたも幸せになれるだろうか?

“過去”“現在”に置き換えて生きることは、後世に何かを残すという人間としての営みを行わないと宣言するようなものだ。
こういったことで、私は、時々行くぐらいならばまだストレス発散にはなるだろうが、“昭和30年代村”に定住するということについては、非常に危惧している。

残酷なことを言うようだが、“古きよき昭和”は、もう戻ってこない。
ただし、我々は、後世の人々に“古きよき平成”と評価されるような時代をつくることは出来るはずだ。
一人の人間として、私には、“昭和”に逃げる勇気などない。
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2007年04月05日

死者は、20年待ってもミイラになるだけ

3日、福岡県大牟田市で白骨化したり、ミイラ化したりしている5人の遺体が見つかった。
身元が分かり、なぜ、白骨・ミイラ化していたかも分かり、今現在、事件に関する報道は極めて落ち着いたものとなっている。

「拝めば生き返る」=母の影響?「二女が」と長男ら−民家5遺体事件・福岡

 福岡県大牟田市明治町の永江茂夫さん宅でミイラ化するなどした5遺体が見つかった事件で、無職の長男(69)らが県警大牟田署の調べに対し、「父が死んだ時、二女に『家族が拝めば生き返る』と押し切られ、遺体を家に置いたままにした」などと説明していることが4日、分かった。
 長男らは「二女は神の道を信じる母の影響を強く受けていた」と話しているといい、同署は5遺体は永江さん夫妻らとみて身元の確認を急ぐとともに、死因を調べている。
 同署によると、長男らは「20年ぐらい前に父が死に、10年ほど後、1、2年ごとに母や長女ら4人が死んだ」「直近では約5年前に二男が死亡した」と説明。いずれも老衰や病死だったとしている。
 また、長男は「妹が両親の年金を受け取っていた」とも説明。一部の親族も受け取りを認めているという。
 調べでは、3遺体が見つかった玄関近くの6畳の和室には神棚があり、女性1遺体があった4畳半の和室にも、天井から神棚のようなものがつるされ、上に高さ約5センチの鉛製の大黒様の像が置かれていたという。
(4日、時事通信)


いくら憲法で信教の自由が保障されているとはいえ、いや、だからこそ、一言言わせていただきたい。
死者は生き返らない、ということだ。一度働きを停止した心臓は、二度と動き出すことはない。
69歳という、平均寿命に近い人間なのにそのことが分からないものだろうか。遺体放置5年目ぐらいで気が付きそうなものだ。
20年待っても、死者は甦らない。そこに新たに生まれるのは、白骨化した遺体、ミイラ化した遺体に過ぎない。

スピリチュアル・ブームで、「死んでも生き返る」ことに疑問を抱かない人が増えてきたという(香山リカ『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』)。
民放テレビのゴールデンタイムでは、かつてのオウム心理教がやりそうなカルト広報活動を、タレントが、アイドルが展開している。
前世が分かったところで、この一生は今この時にしか生きられないのである。今世に重点を置く余裕のない人間が、他者に教えられた前世から何を学べるというのだろうか。
また、運命も、何か絶対的なるものに支配されているわけなどないと思う。格好良くいえば、運命は、自分自身で切り拓いていくものだ。
今から起こす行動で、どうにでもなる。どうにでも変わる。「運命のまま」何も行動を起こさなければ、そのことには一生気付かないだろう。
スピリチュアルは、私たちにあきらめをくれる。「確定した運命に沿った行いをしなければならない」と説く。
死者が生き返るというのであれば、どうぞ、一般大衆の目の前で死者を甦らしてくださいませ。

そして、このニュースで明らかになったのは、地域コミュニティの薄さだ。
近隣には「平成に入ってから、夫婦を見なかった」と話している主婦もいるという。
「変な宗教をしているから」と、関わらないようにしてきたのかもしれない。
しかし、20年間、近隣の人間が存在しないことに気が付かないとは。関心を払わないとは。
こんな日本社会はおかしい、とは思うが、いざ自分を、身の回りを見てみると、自らも隣人が誰かを把握したりだとか、ご近所付き合いだとかを出来ていないことに気付く。
「人の振り見て」とはよく言うものだが、見ることは出来ても、わが振りを直すことは難しい。
引越ししたらご近所に挨拶に行く。朝や夕にすれ違ったら挨拶をする。そんなことしか思い浮かばない。
「これ、旅行に行った際のお土産です」などといった訪問は、今の私には、出来そうもない。
それは、おそらく「何なの、この人?」と思われるのが怖いからだ。地域コミュニティの問題は、一人ひとりの人間の“対人関係恐怖”に由来することが改めて分かる。
ただ、分かっただけではダメだ。せめて、笑顔で挨拶したりといった地道なことから、近隣住民との人間関係を築くことが大事なのだろう。

なんだか話が変な方向に広がりすぎてしまった。
タミフルの話題にも少し触れたい。
タミフルと異常行動の関連性について、厚生労働省は4日、2001年2月から今年先月までに、128人が「異常行動」を起こしていたことを公表した。
異常行動を起こした人は、タミフル使用者の11.9%、非タミフル使用者の10.6%で、その差は1.3%に過ぎない。もちろん、この1.3%に大きな差がある可能性もある。
現段階では、タミフルと異常行動に因果関係があるとも、ないともいえない、ということではないだろうか。
また、タミフルを服用しないことで肺炎にかかったり、死亡したりするケースが存在することも把握しておかねばならないだろう。
タミフルを使うリスクと、使わないリスク。患者は、この2つのリスクを判断せねばならないといえる。
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2007年04月03日

東国原知事「タミフル」発言に問題なし

私には、何が問題なのか分からない。

「タミフルで異常行動」=その後発言を撤回、謝罪−東国原宮崎知事

 宮崎県の東国原英夫知事が2日、インフルエンザ薬タミフルを自身が入院治療中などに服用したことを理由に、「きょうは異常行動に走るかもしれない」と宣言し、その後「因果関係はまだ科学的に実証されていない」として発言を撤回、謝罪する一幕があった。
 東国原知事は同日午前の新規採用職員辞令交付式などで、「インフルエンザにかかって5日間ぐらいタミフルを飲み放題、飲みましたから、ちょっときょうは異常行動、異常言動に走るかもしれない」などと発言した。
 しかし、午後の記者会見では一転して発言を撤回。「申し訳ありませんでした」と謝罪しつつ、「シニカルというか、ブラック的にユーモアを交えて、社会風刺をしたつもり」とも釈明した。 
(4月2日、時事通信)


東国原知事のこの発言が、拍手喝さいを浴びるほどに面白いジョークであったかは別として、少なくとも、私は、この発言に問題はないと思う。

そもそも、なぜこの発言が「問題」となったのか。それは、メディアが「問題」にしたからである。
ここまでの東国原知事の持ち上げぶりを見るたび、私は、いつ、メディアで“東国原バッシング”が始まることかと思っていた。
今回の発言で、メディアが「問題」と報じるのは、知事を持ち上げる姿勢から、バッシングの姿勢に方向転換する“いいきっかけ”を掴んだに過ぎないといえるだろう。

今朝の情報番組では、この「問題」を取り上げていたが、そこでは、コメンテーター陣が、東国原知事を自らよりも下等に見ていたことが露呈された。
つまり、東国原知事はテレビメディアの見つけた“ひとつのおもちゃ”に過ぎず、“第2の堀江”“第2のタマちゃん”に過ぎない。いや、“第2”どころではないだろう。

この程度のかわいいジョークも通じないのであれば、首長や議員のジョーク使用禁止を、法律で明確に禁じるべきだ。
この程度のジョークさえ認められないというのであれば、我々日本人は、未来永劫に渡ってジョークの本来の価値を享受することなど出来るはずはなく、単にジョークは、コミュニケーションを煩わしくさせるものにすぎなくなるだろう。
日本人は、よくジョークが通じない民族だといわれることは、このブログでも少し前に触れた。
狂歌や落語、狂言といった笑いの文化、ジョークの文化が日本にはある。決して、日本人は笑いの通じない民族ではないはずだ。むしろ、高度な笑いの技術を持った民族だといえる。
しかし、“現代の日本人”が、ジョークを低く見る傾向にあることだけは間違いないだろう。
私は、ジョークが理解できるか、出来ないかが、人間性のすべてを表すに違いないと考えている。
IQもEQも結構だが、人間の“質”は、ジョーク認識能力によるのではないだろうか。

ちなみに、私はタミフルと異常行動の因果関係には、かなり慎重な見方をとっている。
タミフルを飲んでも異常行動を起こさない10代は多数存在するわけだし、タミフルを服用していないインフルエンザ患者(10代の少年)が異常行動を起こしたというニュースも、先日報じられた。
厚生労働省の対応が「遅かった」として騒ぐような方々もいるが、インフルエンザ治療をタミフルに依存している現状において、特定の層に限定するとはいえ、「原則使用禁止」を打ち出すなど、そう簡単に出来るものではない。
むしろ、私は、タミフルを「使う」リスクと「使わない」リスクを比較・検討するに当たって、厚生労働省は、よくもここまで早く決断できたものだと思うぐらいである。

そういった“タミフル弁護人”の私だが、東国原知事のジョークとは特に不快に感じない。
単に、「タミフルと異常行動に因果関係がると報道されている」という社会問題を揶揄しただけであるからである。タミフルを、タミフル販売業者を、タミフル使用患者を揶揄したわけではない。
そもそも、「タミフルを服用すると異常行動を起こす」と、散々煽ってきたのは、どこの誰だったろうか。
「知事の発言としていかがなものか」という人もいるが、東国原英夫に“非・既存の知事らしさ”を期待したのは、どこの誰だったろうか。

特別、東国原知事を擁護する気も、持ち上げる気もない。
しかし、この程度の発言を問題にする人たちには、もううんざりだ。
タグ:東国原
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2007年03月16日

堀江被告を支持した過去を、忘れたとは言わせない

“厳刑”が下ったといえよう。

ライブドア判決 堀江被告に実刑 懲役2年6月 東京地裁

 証券取引法違反(偽計・風説の流布、有価証券報告書の虚偽記載)に問われたライブドア(LD)前社長、堀江貴文被告(34)に対し、東京地裁は16日、懲役2年6月(求刑・懲役4年)の実刑判決を言い渡した。堀江前社長は無罪を主張していたが、小坂敏幸裁判長は、前社長の関与を認定し「上場企業の経営者としての自覚はみじんも感じられない」と厳しく指弾。「見せ掛けの成長にこだわり、一般投資者を欺き、その判断を誤らせた責任は重い。実刑をもって臨むのが相当」と述べた。前社長は控訴した。
 事件では、ナンバー2だった前財務担当取締役、宮内亮治被告(39)らLD元幹部5人と公認会計士2人、LDと関連会社ライブドアマーケティング(LDM)の2法人が起訴されたが、判決は堀江前社長が初めて。
 判決は、LDMの架空売り上げは前社長が指示し、それ以外は宮内被告が中心となり計画・実行したと認定。前社長主導とまでは認めなかったが「最終的な決定をする形で関与し、前社長の指示・了承なしに各犯行はあり得なかった」と判断した。その根拠として、前社長の関与を供述した宮内被告らの証言の信用性を認めるとともに、起訴事実の一部を否認する前代表取締役の熊谷史人被告(29)が同様に証言したことも支えとした。
 焦点となった投資事業組合(ファンド)については「脱法目的で組織されたうえ、主要な経理処理がLD側の指示で行われ、自主的判断が介在していない」としてダミーだったと認定。ファンドを介した自社株売却益を売上高に計上する一連のシステムを「企業利益のみを追求した犯罪で、目的に酌量の余地はない。LDが新株を発行し、その売り上げ計上で業績向上を実現しているに等しい」と非難。「錬金術」と断じた検察側の主張を追認した。
 一方、宮内被告の「横領疑惑」について「検察は、立件のうえ不起訴にするなど、厳正公平さに対する疑念を払拭(ふっしょく)しておくことも可能だった」と指摘。「前社長が不公平感を抱くのも理解できないわけではない」と述べた。【篠田航一】
 ◇   ◇
 堀江前社長は昨年4月に保証金3億円で保釈されたが、実刑判決により取り消され、収監の手続きが取られた。弁護側は再保釈を請求しており、認められれば16日中に再保釈されるとみられる。
 ◇極めて意義深い
 岩村修二・東京地検次席検事の話 この種の事件において、迅速な審理の下で的確な判断を得たことは極めて意義深い。
 <判決骨子>
 1 自社株売却益の売上高計上に使われた投資事業組合(ファンド)は脱法目的で組織され、存在を否定されるべきだから、売却益の売上高計上は許されない。
 2 堀江前社長の故意・共謀は、信用できる前財務担当取締役の宮内亮治被告らの証言により認定できる。メールなどで裏付けられている前代表取締役、熊谷史人被告の供述とも符合する。
 3 LDMの架空売り上げ以外は、宮内被告が中心となって計画・実行し、前社長は宮内被告の提案を了承したにとどまる。しかし中心的な役割を担い、前社長の指示・了承なしに各犯行はありえなかった。
 4 宮内被告の「横領疑惑」を主張した弁護側の公訴棄却の申し立ては、宮内被告が会社財産の一部を個人的に費消したことは強く疑われるものの、検察との黙契があったとは認められない。
(16日、毎日新聞)


<ライブドア判決>堀江被告を保釈 保証金は5億円

 ライブドア前社長の堀江貴文被告(34)は16日に東京地裁で実刑判決を受けたことで、昨年4月の保釈が取り消され拘置手続きが取られたため、弁護人は即日、再保釈を請求した。東京地裁は同日、保釈を認める決定を出し、保釈保証金は昨年4月の3億円を上回る5億円。弁護側は、拘置手続きに伴い返却された3億円に加え、2億円を現金で納付し、前社長は同日夕に保釈された。

(16日、毎日新聞)


今回の判決を受けて、民放各局は報道特番を放送した。
フジテレビでは過去の事があったからだろう、“厳刑”というテロップを使ったり、宗像紀夫弁護士の堀江被告に批判的なコメント(「普通、下の者が勝手に動くということはありえない」など)で番組を統一していた。
あるライブドア社員の「堀江社長が一切知らないはずがない。ありえない」というコメントも印象的に使用していた。

印象に残ったのは、テレビ東京での伊藤洋一氏の話だ。
「選別の目」を持つことが大事であり、自分の五感にマッチした企業に投資することが重要だという。同感だ。
ライブドア ショックというものがあり、なぜ検察は2006年の“1月16日”にライブドア本社の強制捜査に踏み切ったのか、など疑問の点は残るが、それはともかく、マーケットではこれら一連のライブドア騒動をすっかり乗り越えているように思われる。
有罪判決を受け、堀江被告の弁護人は「企業を志す人の意欲がそがれるのではないか」といったことを言っているが、その心配は要らないことを、ここ数年の起業社数のデータが物語っている。
それだけに、“ライブドア裁判”は、経済の話とは異なる種類のものと思われる。

私個人の感想を言うと、堀江被告の裁判は、初めから終わりまで、すべてが検察のペースで進んだという印象だ。
もっとも、今回の実刑判決をもって「終わり」とは言えず、堀江被告は控訴をすると思われるので、まだまだ裁判は続き、結審するのは1,2年後も先になるだろう。
宮内亮治、熊谷史人両被告らの証言が、堀江被告の証言よりも信憑性が高いと認定され、もしも検察側にシナリオがあるならば、まさにその通りに事が運んだといえる。

話は、伊藤氏の「選別の目」の話に戻る。
ライブドアが出した虚偽の情報によって多大な損失を被った株主たちが、「被害者の会」を結成したり、損害賠償請求をしたりすることは当たり前だとして、気になるのは、それ以前の問題だ。
つまり、そもそも、なぜライブドアのようなうさんくさい会社を信用したのか。いや、うさんくさいと思うのは、私だけかもしれない。うさんくさい会社を信用するのも、個人の自由だ。

しかし、こういったことを言うのは怒られるかもしれないが、そこをあえて言うなら、ライブドアに真剣に投資した人間の品性が分からない。

堀江貴文という人間にチャレンジ精神を感じた人間の、精神性が分からない。
堀江を賞賛し、時代の寵児ともてはやしたメディアの公共性なるものがどこにあるのかが分からない。
堀江の言動の浅薄さに目を向けず、単に、反権力の象徴として堀江を容認した、中高年を含めての社会人の知性が分からない。
なぜ、分からないのか。なぜ、疑問に思わないのか。なぜ、気付かないのか。
この怒りにも似た思いで、私は、過去、各方面で「ライブドア バッシング」を行なった。最も過激だったのは、例のニッポン放送買収騒動の時だったろう。

もう堀江被告は、過去の人である。
メディアに上手いように使われ、いち早く捨てられた過去の人である。
彼を「英雄」「ヒーロー」として扱った人たち――サラリーマン、学生、主婦、個人投資家、子供、政治家、経営者――は、そして、メディアは、今、彼のことをどう思うのだろうか。
あの時はさんざもてはやしておいて、今はすっかり身を引いて、したり顔で「最高経営責任者として責任を取るのは当たり前」などと公言しているのではないか。
もはや、メディアのせいには出来ない。当時、堀江を批難するメディアもあったにはあったし、その中で、堀江を支持することを決めたのは、彼ら自身の判断によるところである。
彼らに問いたい。あの時、あなたはなぜ堀江貴文を支持したのか。
そして、あなたは、今、「かつて堀江を支持した」という事実から逃げるのか。うじ虫のごとく。
あなたは、確かに、あの時言ったはずだ。「堀江は権力構造に突破口を開ける人物だ」と。「何かおもしろいことしようって言うんだからいいんじゃないの、ナベツネに歯向かうんだからエラいよ」と。
それを、忘れたとは言わせない。
永く、堀江を糾弾し、批判し、馬鹿にし、見下し、こき下ろして来た人間が訴えたいのは、まさにその点である。
タグ:ライブドア
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2007年03月10日

“40年間”に一体何の意味があったのか

またもや複雑な気持ちになってしまった。

袴田事件支援団体の集会「無罪の心証」と元裁判官

 静岡県で1966年、みそ会社専務一家4人が殺害された「袴田事件」で、袴田巌死刑囚(71)(再審請求中)に対する1審・静岡地裁の死刑判決にかかわった元裁判官の熊本典道氏(69)が9日、東京都内で開かれた支援団体の集会に参加し、「自分は無罪の心証だったが、裁判長ともう1人の裁判官を説得できず、2対1の多数決で死刑判決を出してしまった」と明かした。

 熊本氏が、「評議の内容」を公の場で話したのは初めてで、再審支援に協力する意向も示した。

 裁判官が、判決に至るまでの議論の内容など評議の中身を明かすのは裁判所法に違反するが、熊本氏は「高裁や最高裁が間違いに気づいてくれることを願っていたが、かなわなかった。人の命を救うための緊急避難的な措置」と話した。

(3月10日、読売新聞)


熊本氏は「検察側の立証では有罪に出来なかった」と語り、今後は再審請求を支援するという。(毎日新聞)

袴田死刑囚は、現在71歳。刑務所内では、健常な精神状態を保つことが出来ず、お姉さんともまともな会話は出来ない。
今回の熊本氏の告白を伝えても、袴田死刑囚は特別な反応を示していない。

歴史を語る上で仮定の話をすることは無意味だが、もしも、死刑判決直後にでも、熊本氏が告白していれば、袴田死刑囚が現在のような精神状態に陥ることは防げたかもしれない。
そして、それは、袴田死刑囚が死刑でなくなる可能性を引き上げるものとなったかもしれない。

個人の行動について言うと、個人攻撃につながりかねないから躊躇するのだが、やはり、私は、「40年前の判決時に告白するか、自らが死ぬときに言うかしかなかった」と思っている。
遺言書に「私は無罪だと思っていた」との文面を残し、自らがこの世を去ったときに、初めて公表してもらうということだ。

判決の正当性などについては置いておくとして、気になるのは、熊本氏が「なぜ、いま告白したのか」である。
熊本氏は「40年間、言うべきかどうか悩んできた」と話しているが、どうして40年前に告白することは出来なかったのか。
まさか、自己保身のためではあるまい。

判決時に自らの気持ちを正直に言うことが、どうして出来なかったのか。
そして、裁判官で言うところの定年である70歳を目前にして、「やっぱり私は…」と言い出すのは、「遅すぎる」といわれても仕方がないのではないか。

悩み、苦しんできた40年間は、まさに熊本氏にとって「生き地獄」であったろう。

しかし、その40年間とは、一体なんだったのか。
40年待たなければならない告白だったのか。40年待つことに何の意味があったというのだろうか。
今、袴田死刑囚の死刑を見直そうといわれても、もはや、袴田死刑囚が健常な精神状態を取り戻す望みは薄い。

熊本氏が会見で涙を流している姿を見ると、2年後に導入される裁判員制度について、私の考え方は変わった。
私は、“法の素人である民間人が人を裁く時、客観的な視点や法律の観点でなく、「感情」が基準となってしまうのではないか”という危惧を抱いていたのだが、今回の「告白」で、裁判官も人間だということが分かったのである。

裁判官とて、法のプロフェッショナルとはいえない。つまり、この国の司法は、もとより「感情」に侵されているのだ。
タグ:袴田事件
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2007年02月10日

「議員特権」という“遊び心”

9日、議員特権に関する「コンテスト」が開かれた。

<議員特権>ワースト大賞は東京都議会、2位は横浜市議会

 厚遇と思われる議員表彰制度や不透明な政務調査費など、全国の地方議員の議員特権の中から最悪な事例を選ぶ「ワースト議員特権コンテスト」が9日、東京都千代田区で開かれた。投票によって「ワースト大賞」には、領収書提出の必要のない1人当たり月額60万円の政務調査費が支給され、在職25年で太田道灌像贈呈など議員表彰制度がある東京都議会が選ばれた。統一地方選を前に「議員特権を拒否する候補者を支援しよう」とのアピールも行われた。
 このコンテストは、無所属の地方議員や市民らが11月からスタートした「なくそう!議員特権 つながろう!みどり・共生・平和の市民派議員キャンペーン2007」(事務局・東京都)の一環。趣旨に賛同した市民から23例の応募があった。
 コンテストでは放送タレントの永六輔さんが「こういう遊び心のあるコンテストが大事」とあいさつ。その後、大学教授ら5人の審査委員と参加者による計222点の投票で、東京都議会が54点を集めた。ワースト2位は横浜市議会(45点)、同3位は埼玉県議会(39点)だった。【川俣享子】

(2月9日、毎日新聞)


実は、このニュースは『NEWS ZERO』(日本テレビ)で知った。
過去、このブログで散々に評価してきた『NEWS ZERO』だが、ここ最近は見応えのある情報バラエティー番組だと感じる。
バラエティー番組なのに、ニュースの放送時間が多く、政治ネタも多様だ。第一、「多事争論」がない。
“夜のめざましテレビ”、“夜の情報サプリメント”として、「赤坂の御隠居」にはなじまない層が楽しみにしていそうだ。

それは、さておき、「ワースト議員特権コンテスト」である。
いまいち出所の分からない団体による「遊び心のあるコンテスト」(永六輔氏)だそうだが、だったら私も、遊び心いっぱいに、一言言わせていただきたい。

昨日、『NEWS ZERO』で見たのは、全国市議会議長会の「議員特権」である、「宝石製の議員バッジ」だ。
単価は5000円強ほどで、在職10年以上の者に贈与される。
『NEWS ZERO』のスタジオではアナウンサーがあきれていたが、私などは、このバッジに「遊び心」を感じた。
「遊び心」の重要性を深く認識する永氏が、このバッジには「遊び心」を感じなかったのが残念でならない。
問題となるべきは、在職10年以上の「ご褒美」として宝石製のバッジを作ること自体ではないだろう。
地方自治体の困難な財政状況の中で、小さなことから歳出削減を徹底していこうという姿勢が感じられないのが、問題なのだ。
いわば、消防隊員が、火事の一報を受けたにもかかわらず、予定通りに同僚の送別会を開く――といったようなもので、危機意識の感じられない状況が何より問題だ。
議員特権すべてが悪いわけではないにしても、自分たちの身体にメスを入れることの出来るような議員が生まれることを期待したい。
私が知っているのは地方自治体でなく、国会でだけの話になってしまうが、事実、そういった「議員特権見直し」の動きは加速している。
今後、さらに“改革”が求められる。

それとは別に、今回の「コンテスト」には一種の違和感を感じた。
「反権力」の大看板を掲げて、とりあえず“お上”に反抗することを社会正義とし、危なくなったら“本気”ではなく“嘲笑”で逃げるような、ネガティブ・キャンペーンを繰り広げる「市民団体」とは、一体何なのだろうと、いつも思う。
大体、「反権力」ほど権力的なものはない。
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2006年07月22日

感情に侵された法廷

私は今、義憤に駆られている。
まずは、22日産経新聞朝刊の記事を読んでもらいたい。


認知症母殺害 長男に猶予判決 京都地裁、介護の苦しみ理解

介護疲れと生活の困窮から今年2月、合意の上で認知症の母親=当時(86)=を殺害したとして、承諾殺人などの罪に問われた長男の無職、片桐康晴被告(54)=京都市伏見区=に対する判決公判が21日、京都地裁で開かれた。東尾龍一裁判官は「結果は重大だが、被害者(母親)は決して恨みを抱いておらず、被告が幸せな人生を歩んでいけることを望んでいると推察される」として懲役2年6月、執行猶予3年(求刑・懲役3年)を言い渡した。
 判決言い渡し後の説諭では「介護保険や生活保護行政の在り方も問われている」と強調。「生活保護の受給で社会福祉事務所に相談した対応で被告が『死ねということか』と受け取ったのが本件の一因とも言える」と行政の対応に苦言を呈した。
 判決によると、片桐被告は今年1月末、介護のために生活が困窮し心中を決意。2月1日早朝、伏見区の桂川河川敷で、合意を得た上で母親の首を絞めて殺害し、自分の首をナイフで切りつけ自殺を図った。
 論告などによると、片桐被告の母親は父親の死後の平成7年8月ごろに認知症の症状が出始め、昨年4月ごろに症状が悪化。夜に起き出す昼夜逆転の生活が始まった。
 同被告は休職し、介護と両立できる職を探したが見つからず、同年9月に退職。失業保険で生活している際に、伏見区内の福祉事務所に生活保護について相談したが受給できないと誤解し、生活苦に追い込まれた。
 殺害場所の河川敷では、母親に「ここで終わりやで」と心中をほのめかし、「おまえと一緒やで」と答えた母親の首を絞めた。前日には、母親を車いすに乗せ京都市街の思い出の地を歩いた。
 判決理由で東尾裁判官は「尊い命を奪う行為は強い非難を免れない」としながらも、「昼夜被害者を介護していた被告人の苦しみ、悩み、絶望感は言葉では言い尽くせない」と、片桐被告の心理状態に理解を示した。
 また、判決文を読み終えたあと、片桐被告に「朝と夕、母を思いだし、自分をあやめず、母のためにも幸せに生きてください」と語りかけた。


懲役2年6か月、執行猶予3年。
裁判長がながらに判決を言い渡す。
傍聴席も含め、に包まれた法廷。
追及する側の検察官も「同情できる」と言った。

これは、実話である。土曜ワイド劇場での話ではない。
ここまでふざけた、ここまで法を馬鹿にした判決というものが、過去、あっただろうか。
今回の判決は、理由が理由であれば殺人は許される、という判決だ。
たしかに、介護は苦しかろう。役所に生活保護を拒否されたことで絶望を感じたろう。職が見つからないことにかつてない不安を感じたろう。
しかし、合意の上とはいえ、人を殺しているのである。
しかも、認知症の母による“合意”である。これは、「親子の望んだ道だから仕方がないよね」などという話ではない。
この判決は、まるで法を知らない人物が決めたもののように思われる。この状況下、いかに裁判員制度導入が怖ろしいものか。よく分かると思う。

それにしても、今回のこの猶予判決は理解に苦しむ。
被告の供述が、すべて事実であったとしてもだ。もとより、母を絞殺するその場においての会話などは、事実であるか否か確かめようもないが。
この事実と、そこに至るまでの経緯、どちらを深く考慮して、裁判官は判決を言い渡すべきものであろうか。
そして今回、裁判官は何を思って、わざわざ法廷でながらに、この判決を言い渡したのだろうか。

大岡裁きを髣髴とさせる今回の判決。
私はもともと情状酌量という考え方に疑問を抱く人間だが、これはいくらなんでも情状酌量の飛躍のしすぎではないか。
法廷において裁判官が、検察官が、を流して、感情を露にしていいのか。許されるのか。
やはり近年、司法の世界で何か間違った流れが出来上がっているように思える。
感情に侵された法廷。悪夢のようである。


さて、昨日、福田康夫氏が9月自民党総裁選に出馬しないことを記者団の前で明言した。
「安福」の「福」に変わる人物の擁立が、山崎拓氏ら「反安倍勢力」の次の動きだが、昨夜、青木幹雄参院議員会長と与謝野馨経済財政担当相が都内で会談した。
これは総裁選に絡んでのものなのかどうか。
あるパーティーで「与謝野さん、次の総裁選に出る準備してるそうですね?」と冗談交じりで言われ、「え…?なんで知ってるの?」と、真顔でたずね返したという可愛らしい(?)エピソードを持つ与謝野氏。
たしかに、政府の経済政策で「安倍勢力」である竹中平蔵総務相と対立していることから、「反安倍勢力」となる“資格”はある。
現実味はある。「福田氏出馬」と比べると、だが。
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2006年07月08日

北朝鮮ミサイル発射 3つの「なぜ」

5日、北朝鮮から「テポドン2号」などのミサイルが発射された。
「あまりにも失うものが多い」ため、ミサイル発射の可能性はないだろう思われていた頃の発射。
不意打ちというか、「なぜこのタイミングに?」と思わざるを得ない。
アメリカの独立記念日に合わせて発射したともいわれるが、だとしてはあまりにも情けない結果に終わった。
「ハワイに照準」を合わせていたという情報もある。
テポドン2号の発射が成功していれば、伝えられているミサイルの射程距離からいえば、ハワイの諸島には着弾せずとも、ハワイ近くの海には落ちていただろう。
もしそうなっていたら、北朝鮮はアメリカの反応をギリギリのところで確かめることが出来る。
それが今回、日本海に着弾したことによって、結局、アメリカ側からは冷静な対応しか得られなかったのは、北朝鮮にとっては期待に沿わないものであったろう。

そして次に疑問に思われるのは、「なぜ撃ったのか?」ということである。
小泉首相も「何もプラスになることはない」と記者会見で発言していたが、ミサイル発射は北朝鮮の国際社会孤立化を進めるものでしかない。
友好国である中国・ロシアについても事前にミサイル発射の通知がなかったということで、非難の声が高まっている。
日本政府としては「万景峰号の半年間入港禁止措置」など期限付きの制裁を発動した。
「制裁が甘い」との声もあるが、安倍晋三官房長官の下、ミサイルが日本の陸地をまたいでいなくとも経済制裁を発動できるようにしたのはもっと評価されてよい。
この制裁に並行して、日本政府は、国連安保理での「北朝鮮制裁決議案」採択のため日米連携の下各国との協議を続けている。
この「決議案」に対して、中国・ロシアの2国は拘束力のない議長声明にとどめるべきだと主張した。安保理常任・非常任計15か国中2国だけが反対、あとは賛成なら採択出来るんじゃないの?と思う人も多いだろうが、なんとも曲者なのは中国・ロシアが常任理事国であることであって、「拒否権」を行使されては元も子もないわけだ。日本政府にとっては歯がゆい思いである。

話は戻って「なぜ撃ったのか?」であるが、これは軍事力を誇示したい北朝鮮政府内部の軍部が暴走して、それを金正日総書記が阻止出来なかった結果という意見も当初よりあるが、私はむしろ、「政府と軍部が連携できている証拠」としてミサイル発射に踏み切ったという可能性のほうが高いと見ている。
つまり、北朝鮮の内部分裂ということではなくて、むしろ、北朝鮮の象徴ともいえるミサイルでもって、北朝鮮が一つにまとまっているんだということをアピールしているのではないかという風に感じる。

そして最後に、「そもそもなぜ北朝鮮はこのようなことをやっているのか」について書きたい。
簡単に書けば北朝鮮はアメリカと2国間で協議をしたい、外交交渉したい。そのためにアメリカの注意を引きたい。注意を引く手段として日本を利用する。
この北朝鮮の要求に日米などは、6カ国協議に復帰するよう答えている。6カ国協議の枠組みの中での2国間協議というのも可能であるからだ。

北朝鮮は厚顔無恥なのか。それとも、すべてが演技なのか。
いずれにせよ、北朝鮮の進むべき道は、6カ国協議への無条件復帰。これしかない。
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2006年05月16日

平塚5遺体 「一時停止」の危険性

ゴールデンウィークが明け、一週間余りが経ち、「五月病」なる言葉も聞こえてきそうな5月中旬。
ゴールデンウィーク中には、「平塚5遺体」事件のニュースが世間を騒がせた。
5遺体の内の子供と見られる3異体について、岡本千鶴子容疑者は「すべて自分の子供」と供述したそうだが、それが本当の事なのかどうなのか、それが分からない。
もしかしたら、千鶴子容疑者は精神鑑定を受ける必要性があるかもしれない、とも考えてしまう。
それにしても、いかにも「病理的」なニュースだと思わないだろうか。
腐乱した遺体が数多くある中で生活するということは、一体どういうことなのか。
「腹違いの兄妹」「再婚・離婚」などの複雑な人間関係、それに「20年以上前の長男失踪」など特異的な背景も絡まって、事態はさっぱりとは見えにくい。
言っていることが変わったり、あまり多くの事を話さない千鶴子容疑者から「新事実」が聞けるかどうかは難しいところだ。
よって、DNA鑑定など警察の今後の捜査で「新事実」が明らかになってくるのだろうが、一筋縄ではいかない事件であることは目に見えている。
慎重かつ迅速な捜査を期待したいところだが、ここ数日、メディアはこのニュースを扱わなくなってきている。
つまり、このニュースはもう過去のニュースとなっているのだ。
より新しく、より大きなニュースが存在しているのだから、それは仕方のないことだとは思う。
しかし、こうした現代日本人の病的な側面が見えてくる事件(私はそう思っている)において、その報道を「一時停止」させることは、現代人の抱える精神的な問題について考えることをも「一時停止」させることに繋がってしまうのではないかと思う。
日々流れ、日々消えゆくニュースの数々の一つひとつを、しっかりと自分の中で消化できるような場所が必要ではないだろうか。
私の怠け癖というか面倒くさがりのせいで、このブログは、そういう「場所」になれていないが、毎日更新されるようなニュースに関するブログやホームページなどは、実にそういう「場所」になりうる。
そういった意味では、インターネットというものは、たしかに社会に対して悪い影響を与えているかもしれないが、評価をそれだけに終わらせないために、自ら、それらニュースを「すくい出す」ツールにもなっている。

なんだか、話が色々な横道に逸れてしまった。
実は、今日はそもそも、「ポスト小泉レースの中で埋没しつつある麻生・谷垣両氏」について書こうと思っていたのだが……。
急に人の「書きたい」ことを変えてしまうのは、ブログの魔力とやらによるものか。
人生、そう思い通りにはいかないものだ。
これは久保竜彦選手にも言えることかもしれないし、それこそ「麻垣康三」にもいえることかもしれない。
というか、すべての人にとって言えることか…。
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2006年03月23日

「適当」に日々のニュース雑感

王ジャパン世界一!
対韓国戦での2連敗、誤審騒ぎ、奇跡の準決勝進出、そして、イチローのイメチェン。
私なんかは、イメチェンとか何とかでなく、ただ単に今まで、イチロー選手は自身の持つパーソナリティーをマスコミ側に見せていなかっただけだと思うが、確かに、クールさが際立っていた今までのイチローらしくないといえば、らしくないWBC期間だった。

それにしても、つくづく色んなニュースがあるからこそ日本は面白いと思う。
良いニュースも、悪いニュースも、その見方次第でいかようにも楽しめる。
もちろん、殺人事件を好奇心を煽るような形で報道することは良いと思わないが、ただ、それもある意味豊かな社会でなければ出来ないことだと思うのだ。
それでは、日々のニュース雑感をチョコチョコと書きたい。

筋弛緩剤点滴事件・守大助被告裁判
守被告は無罪を訴えているが、有罪・無罪に関わらず、裁判長が弁護側の証言を聞かないというのはおかしい。
裁判のスピーディー化と裁判の中身を空にすることとは違うのであって、検察・弁護側両方の意見を総合的に判断するのが裁判長のすべき仕事だと思うし、至極当たり前のことだと思うのだが。

永田寿康衆院議員 衆院懲罰委員会で弁明
今回の懲罰委員会で何項目かの事実が明らかになったが、正直いってどれもたいしたものではなく、こんなことで永田議員は元記者を信じたのか、というものである。
十分な根拠が足りない中での質問は、一体なんだったのか。永田議員の馬鹿さ加減を感じるのだが、どうだろうか。

新橋演舞場で出火 「タッキー」公演中
死者が出なくて良かった、というところだが、やはり舞台の火薬の使い方など考慮すべき点は多々あるだろう。
迅速な場内アナウンスが客をうまく劇場外へ誘導したという。常日頃からの危機管理体制の整備が重要ということか。

最後に余談だが、ソフトバンク新書が創刊した。
早速、敬愛する高田純次氏著『適当論』を読むが、高田さんの書いた本というよりは、精神科医・和田秀樹氏による高田さんの精神分析といったところである。
また、「書き人知らず」の高田純次考察みたいなのも含めて、これで高田純次著というのかはいささか疑問だが、ここに来て日本人、抜くべきところで手を抜くという「適当論」を胸に刻んでみてもいいのではないだろうかと強く思う次第。

なんだか中途半端な所だが、きょうはひとまずこの辺で失礼したい。
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2006年01月24日

堀江逮捕で見えたもの

まさにスピード逮捕。
東京地検は、昨夜、ライブドアの堀江貴文社長ら4人を証券取引法違反などの疑いで逮捕した。
ライブドアの行ったことについては、先週のライブドア本社などへの強制捜査以降、様々な媒体で報じられたし、
それは「錬金術」というワードですっかり定着している。
簡単に言えば、嘘の情報で企業価値を上げ、身内〈買収した子会社を相手に〉で株取引=自社に還流したということだが、
一つひとつの違法ではないやり方を重ねて、利益を生み出す、というか、自社の時価総額を上げるということをライブドアはずっとやってきたわけである。
東京地検は16日夜に六本木ヒルズのライブドア本社や堀江社長の自宅を強制捜査、パソコンなどを押収。
堀江社長は、昨夕4時30分からの任意の事情聴取から約3時間で逮捕された。それにしても早い。
あれから約1日が経ったいまも、堀江社長は違法性を認識していなかったと主張しているというが、それでも東京地検が逮捕に踏み切ったのは、
東京地検が強制捜査によって収穫した証拠に自信を持っているからに他ならない。
その「収穫」の一部は、テレビなどで報道されているとおりメールなどである(「発覚することは99.9%ない」など)。
今後予定される公判で、「真実」がどんどん明らかになってくることだろう。
さて、少しだけ書いておきたいのはライブドアの強制捜査以降のメディアの対応についてである。
どうでもいいことであるが、去年〈05年〉、私はある別のサイトに関わっていたのであるが、そこで何回かライブドア バッシングキャンペーンを展開し、コラムを掲載した。
というのも、ニッポン放送株取得問題でのライブドアのやり方には理解できないところが多かったからである。
そのコラムの一部は以下の通りだ。

 ニッポン放送は経営不振に陥っているわけでもなければ、フジサンケイグループ下の現経営が、今後企業価値を損なわせるものであるとは到底考えられない。仮にネットとラジオの融合を考えるならば、それは企業価値を高めることと考えるのだろうから、敵対買収などする必要なく、業務提携をすればいい話。必要のない喧嘩を売っているだけである。本来、こんなの「馬鹿なことしてんじゃねえよ、無駄なことして」と一蹴されるべきなんですがね。無知な学生連中は別としても、中高年までもが堀江のメディア論に「新しい息吹」「古いものを壊す」「しっかりとしたビジョンがある」などとほざいている。結局、勉強不足。イメージだけの「応援支援」なのだ。〈2005年3月12日、あるサイトに掲載〉

その後フジテレビとライブドアは業務提携し、ライブドアという会社を少なくともメディアは認めたし、
それは一般国民にとっても、ライブドアは社会的に認められているという意識につながった。
ある時は英雄扱いし、ある時はIT界の第一人者扱いし、そして今や、許されざるべき落伍物扱いである。
現在のメディアの対応は、一年ほど前の私にとっては喜ぶべきものだが、しかし、このコロコロ変わるメディアの姿勢に今の私は納得いかない。
要は、使い捨て。
こういった事があと何回繰り替えされれば、メディアは自らの醜態に気が付くのであろうか。
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2005年12月11日

小学生と“同等”な容疑者たち

それにしても、小学生を巻き込む事件が多い。
広島小1殺害事件、栃木小1殺害事件、長野小5行方不明、それに京都小6殺害事件である。
栃木と長野の2つのニュースの今後の展開はまったくもって分からないが、それにしても、尋常ではないニュースばかりだ。
「広島小1殺害」では、ヤギ・カルロス容疑者が「悪魔が体に」などという供述をしている。
「栃木小1殺害」では、犯人は女児の体中を刺し『失血死』させた。
「長野小5不明」では、「行方不明の男児に食事を与えた」と女が嘘の証言。
「京都小6殺害」では、塾講師が「以前からかわれたから」と包丁やハンマーで女児を殺害。
一体なにがどうなっているのか。信じられないようなニュースばかりである(だからこそ、ニュースとしての価値があるのだろうが)。
共通して言えると思うのは、弱さ。欲望に負け、理性を失った悲しき者たちの犯行だといえそうではないか。
「広島小1殺害」の容疑者は、以前祖国で犯した犯行の味を忘れることができなかったのではないか。
再び手を染め、さらに同じ供述をしているのは、まさに「悪魔」によるところなのかもしれない。ただ問題なのは、その「悪魔」が容疑者に内包していたことである。なにも言い訳などにはならないということだ。
「栃木小1殺害」では、犯人は女児を失血死をさせた。このことから、ある人が「弱さの現われ」だと表現していたが、まさしくその通りだろう。
小1女児相手になにも、体中を刺す必要などないのだ。いつ「死んだ」か。それが刺しても刺しても分からなかった犯人の理性を失った様が推測できる。
「長野小5不明」嘘の証言をした女は、「目立ちたかった」と話す一方で、マスコミが接触しないよう警察に要請しているという。
話が矛盾し、結局意味の無い、分からない行動をしている。もはや正気の沙汰とは思えず、操作撹乱に協力した格好だ。
「京都小6殺害」の容疑者の塾講師は、小6相手に恨みを持っていたという。
仕事による人間関係のトラブルは多々あるが、それを原因にして殺害をするなど、しかも小学生を相手にして殺害するなど、心理発達不十分も甚だしい。
どれもこれも、3人の容疑者1人の嘘の証言者は、幼稚で、想像力が欠如していて、幅が狭く、ガキっぽい。
だからこそ、小学生を、保護する」という立場からは見れずに、同等「対決」の相手として見ているのだろう。
「子供のままの大人」が多すぎる。これは、上に挙げた4人にだけ言えることではない。日本中で、こうなのだ。どこもかしこも、こうなのだ。
こういった「犯罪予備者」の検挙はさることながら、根本的な課題として、日本の教育システムそのものの正しい構築が迫られるのは言うまでもない。
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2005年11月30日

耐震データ偽造問題の“優先順位”

ここ最近ブログの更新を怠っている間に、世間では様々な事件が起きた。
「広島小1殺害事件」では、容疑者のペルー人男性が逮捕されたことで、事件そのものは一応、解決の方向へ向かっているが、
「マンション耐震データ偽造問題」は、マンション住民の不安は増えるばかりで、当事者の建築主、検査機関らはというと責任のなすり合いをするばかりで、
ますます問題は深まり、不動産・建築業界への不信感も根強いものとなってしまった。
29日には国会で参考人質疑がなされたが、結局、「欠席」の姉歯建築士を避難しておけばとりあえず済むような形になってしまったことは非常に残念だ。
連日テレビに出演しているヒューザーの小嶋進社長についても、自身が迎えている局面を把握しているのかどうか疑問だ。
現在のヒューザーに住民保障を出来るほどの金が用意できるとは考えられなく、住民にとっても後に「帰るべき家(マンション)」が保障されていない。
「だれが最も悪い」とか「もともとは誰が悪い」などといった議論は暇になったらやればいいことで、
今、最も求められているのは、マンション住民が安心できる状況(住民保障)をつくりだすことであることは明白だ。
彼ら“当事者”たちは、何をしたいのか。そして、それは可能なのか。
それが見えないから、住民は安心できないし、責任を持つ者が誰なのかについても見えてこない。
もちろん、今回の「責任」は特定の個人だけにあるというのではなく、全体的に負う必要性のあるものであると考えられるが。
28日の『FNN ニュースJAPAN(フジテレビ)で、キャスターの松本方哉は(個人的な見解だろうと思われる)コメントを挟んだ。

 まぁ、それにしましても、今回聞かれます「道義的責任を負う」とは、
  まぁ、人として踏み行うべき正しい道を歩むことを意味します。
  問題の住民などへの買い戻し案などは、人の世では「責任逃れ」というのではないでしょうか。

松本キャスターらしい皮肉めいた言い方ではあるが、しかし、このまとまったコメントが実際のところ、最も歯切れのよいものであるに違いない。
ヒューザーの社長を「悪」としたところで、正直、展望的な意味は無いし、そんなネチネチしたことはやっててもしょうがない。
物事には優先順位があって、今は、その優先順位に則って事を運ぶべきなのであるが、
当のヒューザーや検査機関らに、そのことを運ぶだけの財力もなければ、心意気本気もない――というのが、どうやら現状のようである。
posted by Author at 16:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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