2008年08月31日

「チベット・ウイグル=正義」「中国=悪」という単純思考はやめろ


『トリビアの泉』 (フジテレビ)の監修などで有名な唐沢俊一氏が、チベット僧侶について、「ホントにイバりくさっていてね、金にはがめついわ、ロクなもんじゃなかったよ」と批判している。

メディアが伝えないチベット暴動

チベット亡命政府は、中国から残虐行為をされたと主張しているが、対するチベット僧侶のほうはどうなのか。
ダライ・ラマ率いるダライ集団の実態について、今、改めて事実を確認するべき時が来ているのかもしれない。
ダライ集団が多くの反中分子を生み出し、それらが中国の平和と秩序を崩壊しようと画策しているのは事実である。

昨日も書いたが、チベット・ウイグルが正義で、中国は悪なのだというステレオタイプな思考はやめたほうがいい。
そのような単純な思考は、日中友好に際しての意図せぬ精神的バリアーになる。
今、我々は地政学的にも経済的にも、中国という隣の大国と、これまで以上に関係を強化する必要があるというのに、時代錯誤的な方向に突き進むのはおかしいだろう。

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※私が作成した「チベットフリー運動」(チベット製品は買わない、使わない)ロゴ

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2008年08月30日

ロシアの行動は正しい! チベット・ウイグルは中国の一部!


これまであまり述べる機会がなかったので、改めてここに私の考えを書く。

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※私が作成した「チベットフリー運動」(チベット製品は買わない、使わない)ロゴ

まず、ロシアとグルジアの“戦争”について。
私は、ロシアの行動を支持する。
ロシアはロシアのためになることをやっているだけである。
また、南オセチアの住民たちは、グルジアおよび同国のサーカシビリ大統領に対し、非常に強い恐怖と不安を抱いている。
ロシアによる南オセチア独立承認は、人道上の観点からも極めて適切であり、米国やグルジア政府の手前勝手な理屈で持ってロシアを非難されても、どうしようもない。
ロシアのプーチン首相は、「今回の紛争はグルジア側から仕掛けてきた。米大統領選でマケイン氏を有利にしようとする勢力が、武装攻撃を仕掛けてきた」と言及した。
ここまで踏み込んだ言及には私自身、少し驚かされた。この発言の中身については、今後、精査していく必要があるだろう。

次に、チベット、ウイグルについて。
私はこのブログで、かつて中国共産党政府がチベット人民たちに残虐行為を行ったと書いた。
そのことについては現在も意見は変わらぬが、チベットとウイグルという土地について考えた時、私はこれは中国の一部と理解するのが妥当だろうと思う。
チベットとウイグルの独立運動は、経済発展途上の中国社会に少なからぬダメージを与えることになる。
チベットやウイグルの人民たちが中国の漢族に迷惑をかけているのも事実であり、必ずしもチベットやウイグルが正義で、中国政府や漢族が悪だというわけではない。
当たり前のことかと思われるかもしれないが、「フリーチベット」を訴える人の中には、このことを理解できていない人がいるらしい。
なお、私は「チベットフリー運動」(チベット製品は買わない、使わない)の賛同者の一人である。

私は、普段は出来るだけ、ブログに個人的な政治思想や意見を書かないようにしている。
しかし、ロシアとグルジアの紛争、そしてチベットとウイグルのあり方については、今、どうしても述べる必要があると思ったので、以上、簡単に記述した。
みなさん方に何かご意見があれば、気軽にコメントを寄せてほしく思う。

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おすすめリンク:グルジア情勢:米国が育てたグルジア軍とロシアの闘い|WIRED VISION

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2008年06月04日

伝えられないニュースもある/「ロボットアームで抱きしめて」


政局は日々流動化し、「民主党、首相問責決議案提出へ」といった硬めの話題から、「クールビズでも本会議時にはネクタイ着用が必要」といったやや軟らかめな話題まで、このブログで取り上げるべき政治ニュースは多々ある。

いかんせん、一つのニュースについてエントリを書くとなると、筆の遅い私の場合、大体30分から1時間ぐらいがかかってしまう。

言い訳をすると、本職を持つ身としては、やはり毎日の更新は多少きついものがある。

「簡単な一言コメント」という形式でエントリを書くことも画策してはみているが、なかなかそう踏み切れないでいるのが現状だ。

今日は、そんな言い訳をしつつ、過去の記事についてご紹介したい。過去に書いたエントリを好きな時に見られるのが、ブログという媒体の良い点だ。

<殺人未遂>高2男子が女子生徒刺し逮捕 岩手

 岩手県警水沢署は21日夜、同級生の女子生徒(17)の腹部などを刺したとして同県奥州市、県立高校2年の少年(17)を殺人未遂の疑いで緊急逮捕した。少年は容疑を大筋で認めている。

 調べでは、少年は21日午後7時40分ごろ、奥州市水沢区の住宅街の路上で、女子生徒の腹部や背中などをナイフで数カ所刺し、殺害しようとした疑い。女子生徒は重傷。

 午後7時50分ごろ、通行人から「腹から血を流した女性が倒れている」と110番があった。女子生徒の話などから少年が浮上し、水沢署員らが自宅にいるところを発見した。凶器とみられるナイフは少年の供述に基づき、現場近くの水田の側溝から見つかった。

 2人が通う県立高校によると、少年と女子生徒は昨年4月から夏ごろまで交際していた。疎遠になった夏休み後から少年は欠席や遅刻を繰り返すようになり、所属していた運動部もやめたという。少年はおとなしい性格で、校長は「事件の心当たりは全くない」と話している。【山口圭一】

(2008年3月22日、毎日新聞)

このニュースについての私の感想などは、こちらのエントリに書いてある。

インターネット上でこのニュースの続報を探してみたが、文章化された続報は存在しなかった。

ブログ検索をしてみると、以下のブログでこのニュースが触れられていた。

つらつら日暮らし

▼為八の「頑張れデスク!」

★気まぐれ!KYで悪かったな!実はAKYですが!それが何か?

この岩手のニュースは、その後特別な続報がなく、事件発生時も取り立てて話題にならなかったニュースだが、こういう事件の“その後”をしっかりと伝えたいという思いが、私にはある。

「少なくともそれは“政治系ブログ”でやることではない」とのお叱りを受けるかもしれないが、日々のテレビニュース番組などでは、どうしてもニュースバリューというものがあって、すべてのニュースを等しく平等に報道すことは難しい。このブログがその補完役となれば幸いだとは、常に意識している。

 ★

本職が忙しかったり、プライベートが立て込んでいたりすると、どうもブログの更新頻度が減ってしまう。

本当に情けない限りだが、今後出来る限り、ブログの更新を増やして活きたいと思うので、今後もこのブログをご覧いただければ嬉しい。

最後に、「きぼう」を持てる歌をご紹介する。

スペースシャトル「ディスカバリー」号に登場中の宇宙飛行士・星出彰彦さんの中学・高校の同級生らが作成した『ロボットアームで抱きしめて』という歌があるのだが、これは歌詞もメロディも素晴らしい。

You Tubeに動画が掲載されているので(こちら)、是非ともご一聴頂きたい。「宇宙なんて あんがい近いもんさ」という歌詞は、高校時代に天文部の部長だった人間としては、涙なくして聞けない感動的なものである。

同じくYou Tubeに、テレビアニメ『School Days』のオープニングを『新世紀エヴァンゲリオン』のオープニング風に作成したもの(MAD)があったので、興味のある方はこちらもどうぞ。これが意外と凝っている。最後の伊藤誠くんの笑顔連発シーンは、『エヴァ』の元ネタ(碇シンジくん)を知る人間としては、本当に楽しめる。

――政治ニュースから、社会ニュースから、宇宙の話題から、アニメの動画まで。……このブログ、振り幅広いでしょ?

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2008年02月15日

みなさまへお知らせ


平素は当ブログをご覧頂き、ありがとうございます。
2月に入ってから更新が滞り、誠に申し訳ありません。
勝手ながら、諸事情によりもうしばらくの間更新を休止させていただきます。
何卒ご了承下さい。


2月22日は竹島の日.jpg 

〜竹島は日本の領土です〜
2008年(平成20年)は竹島の島根県告示から103周年です。
韓国による不法占拠から55年目です。



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2008年01月02日

2008年の初めは、『バトル・ロワイヤル』と『宙のまにまに』で。


新年明けましておめでとうございます。
今年2008年も、当ブログをよろしくお願いいたします。


さて、昨年(2007年)大晦日から本年(2008年)元日にかけて、私はゆっくりと休ませていただいた。

大晦日には、今更ながら深作欣二監督『バトル・ロワイアル 特別篇』をDVDで鑑賞。
はじめから終わりまでしっかりと観るのはこれが初めてだったので、ホラー系映画を大の苦手とする私としては、少しドキドキしながら鑑賞。

劇場公開時には、民主党議員らが公開に反発していたこの映画。
たしかに一部ショッキングな映像はあるが、全体を通してみると、濃厚なエンタテインメント作品として完成している上に、観る者に深い感動を感じさせる映画だった。
今更ながら、10年に一本あるかないかの傑作だと思う。

こういう映画こそ、中学生や高校生に観てもらいたい。
深作監督からの青少年への強いメッセージを、中学生や高校生に感じ取ってもらいたい。
映画『学校の怪談』シリーズで名子役ぶりをみせていた前田亜季さんの成長ぶりも、今更ながら把握させていただいた。

「ラデッキー行進曲」「美しく青きドナウ」などのクラシック音楽が絶妙に使用されており、そういう所には、かつての「新世紀エヴァンゲリオン」の雰囲気を感じた。
まだご覧になっていない方は、ぜひご覧くださいませ。


大晦日に私が見たのは『バトル・ロワイアル』だけではない。
柏原麻実さんのオリジナル漫画『宙(そら)のまにまに』第1巻〜3巻を読んだ。
講談社アフタヌーン誌に連載されている漫画で、現在の所、第3巻までが発売されている。
ある高校の天文部を舞台にした漫画で、すっかりハマッてしまった。こちらもみなさま、お読みくださいませ。


さて、明日(3日)午後6時30分からは、テレビ東京系で『初笑い! お江戸人情茶屋』が放送される。
伊東四朗さんと三宅裕司さんのゴールデン・コンビが繰り広げる、下町風コント&トークバラエティ番組。
戸田恵子さん、小倉久寛さんといった名優が脇を固める上に、ゲストには仲間由紀恵さんなどが登場する。
ここ最近、生活から「アチャラカ」が欠乏気味のみなさんに楽しんでもらいたい番組だ。ぜひご覧くださいませ。


今年2008年は、政界にとっても激動の一年となることだろう。
内閣改造はどうなるか。福田政権の行方はどうなるか。
「中宏池会」構想はいよいよ現実化するのか。
北海道・洞爺湖サミットはどうなるのか。
解散総選挙は、あるのかないのか。「小泉チルドレン」らの処遇はどうなるのか。
――この一年、激動する政界を、分かりやすく丁寧に解説することができたら、これ幸いである。

それでは、今年一年がみなさまにとって良き一年でありますようお祈りしながら、しばし(?)のお別れとしたい。

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2007年12月27日

「食品偽装」はノーベル平和賞モノ 〜タモリ牧師「盛り上がるな!」発言から振り返る2007年〜


我が崇拝するタモリさん司会の『笑っていいとも! 年忘れ特大号!』(フジテレビ、26日)を見た。

といっても、リアルタイムで見られたのは、午後11時台の「ものまね歌合戦」ぐらいだったのだが、オープニングの“タモリ牧師”による漫談(?)は予め録画予約していたので、見ることができた。

自身の登場に盛り上がる客席を前にして、タモリさんが叫んだ言葉は「盛り上がるなっ!!」。
この言葉を聞いて、私自身はっとさせられた。
思えば、近年の我が国の社会は、あらゆることに過剰に「盛り上が」り、騒いでいるのではないか。

今年一年を通じて最も世間を騒がせたニュースといえば、何になるだろう。
このブログで日頃取り上げている政治・政局ニュースを別にして考えると、「食品偽装問題」は、今年最大級のニュースのうちの一つであったと言えよう。
不二家に始まり、赤福、ミートホープ、船場吉兆、白い恋人、比内鶏などなど。
消費・賞味期限の虚偽記載、売れ残った商品の再使用など、「食の安全」を揺るがすニュースが相次いだ。

ありきたりな「ご意見発表会」は既存メディアのみなさんにお任せすることにして、このブログでは、少し違った見方をお示ししたい。

この際、厳密な賞味期限も消費期限も気にせず、生きていこうではないか。
そもそも、賞味期限が1日過ぎただけでまずくなるような食品など、もとよりまずい食品である。
美味しい鯛は腐っても美味しいのだし、賞味期限が過ぎた「白い恋人」は賞味期限が切れていても美味しいのだ。
不二家の「再使用」にしても、健康上の問題がほとんどないからこそ「再使用」できたのであるし、結果「おいしければ何でもいい」ではないか。

はたして、アフリカの貧しい発展途上の国に住む人々たちは、食品の賞味期限を気にして食事をしているだろうか。
原始時代、我が祖先たちは、マンモスの賞味期限を気にして食事をしていただろうか。
アフリカの最貧国の人々と原始人を一緒くたにするつもりはないが、日本においてもそもそも「おばあちゃんの代からのお漬物」に賞味期限表示などはなされていない。
賞味期限など本来あいまいなものにすぎないし、美味しいものは賞味期限が過ぎていても美味しいのだ。

それを、日本のメディアは「食品偽装!」「食品偽装!」と騒ぎ立てる。
ワイドショーでは「不二家」「赤福」は悪しき組織と断罪され、賞味期限を1時間でも過ぎた食品を売っていたスーパーは「悪徳商店」と報道される。
私に言わせれば、「豚肉」を「牛肉」と偽装して出荷する「ミートホープ」は、我々庶民に「牛肉コロッケを食べているという贅沢感」を感じさせてくれた、つまり、“優しい嘘”をついてくれたわけである。

言われてみなければ、誰も「牛肉コロッケ」の違いも「豚肉コロッケ」の違いも分かりゃしない。
それは、なぜか。それは、ミートホープの「豚肉コロッケ」が美味しかったからである。「ミートホープの豚肉コロッケ」が「牛肉コロッケ」と同レベルに美味しかったのは、紛れもない事実なのである。
「不二家」は、「白い恋人」は、「ミートホープ」は、私たちに“偽物が本物を上回る瞬間”、すなわち“幸福なドッキリ大作戦”を体験させてくれたのである。

私たちの舌は、“偽物”に騙された。
しかし、騙されていた瞬間、私たちは幸福だった。私たちの幸福指数は満腹だった。
そこにあるのは、「バレなければいい」という単純な論理ではない。「バレない」ための綿密な工作、そして努力が存在したからこそ、私たちの舌は騙された。

「ミートホープ」の偽装は、北海道の人々に笑顔をもたらしていた。
「不二家」の材料再使用は、多くの子供たちに喜びをもたらした。
「白い恋人」の偽装は、“北海道みやげ”という形で、日本国中の“働きマン”たちを笑顔にさせた。
「赤福」の偽装は、伝統と老舗を愛好する美食家の面々を、大いに楽しませた。

「儲かればいい」という考え方をしていたら、食品の偽装などできない。
食品を“もったいない”と思う気持ちこそが、食品会社の経営者たちに「偽装」の道を歩ませた。
そして、“もったいない”という気持ちこそ、日本人の大事な精神性であるということで、それを提唱したワンガリ・マータイさんは数年前、ノーベル平和賞を受賞した。

こういうことを考えると、食品偽装は、ある種「ノーベル平和賞モノ」だったのではないか。
ミートホープの田中社長が、もしかしたらノーベル平和賞を受賞していたのかもしれないのである。それを考えると、田中社長を「豚オヤジ」「ピッグ・ゴッド・ファーザー」とバカにすることなど、私にはできようはずもない。


神は“罪”を憎まず、その罪がバレる“愚かさ”を憎む――とは、立川談志師匠の言葉である。
どこの誰とは申さぬが、とある政党の議員のみなさんたちは、不倫をしてはバレ、不倫をしてはバレている。
まったくもって恥ずかしい。「バレる不倫をするな」とはよく言ったものである。

食品偽装を騒ぎ、賞味期限切れを騒ぎ、「食の安全」を騒ぐ。
彼らは、いつも騒いでいるだけだ。物事の本質を見究めようとはしない。
彼らはたしかに「ニュース屋」かもしれないが、けっして「ジャーナリスト」ではないのである。騒ぐだけ騒いで、事実の検証、その深層背景を見つめようとすらしない。
ステレオタイプ的に喧騒を演じてみるだけだ。そしてそのニュースを受けて、毎度おなじみコメンテーターが、ステレオタイプ的にありきたりな意見を述べてみるだけなのだ。

一人の力士の動向、一人の父親と三人の兄弟の動向も、考えてみれば騒ぐほどのことではなかった。中国の「石景山遊園地」はちょっと面白かったけど(――関係ない話だが、私は中国製の「ファービッシュ」という人工知能搭載型ペットを持っている。正規の「ファービー」とは違い、手が付いているのだが、きちんと日本語もしゃべる。ただし、キャバクラ嬢のような“少し品のない言葉”をしゃべるので、外からのお客様にはお披露目できないのが残念である)。


今年も一年が終わる。
本当にブログをご覧のみなさま、今年一年お疲れ様でございました。
新年1月1日は、テレビ東京『新春報道特別番組 ザ・決断!あの一瞬!』(午前11時30分〜)で“初笑い”ならぬ“初・知的好奇心体験”をしていただきたい。
それではみなさま、よいお年をお迎え下さいませ。


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タグ:タモリ
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2007年09月25日

ためしに「政権公約」を作ってみました

今日、第91代内閣総理大臣に、自民党の福田康夫総裁(71)が正式に選出された。

国会開会中ということもあり、前内閣(安倍晋三改造内閣)における閣僚をほとんど留任させた“小幅の組閣”を行った。


総裁選中、福田首相は「総裁選に出ることは予想していなかった。急ごしらえの(総裁)選挙だ」と話していたが、「急ごしらえ」という言葉が気になったので、私自身、一体どれだけの少ない時間で「政権公約」を書くことが出来るもの何か、試してみた。

きょう午後6時ごろから時間が空いたので、NHKの組閣情報を横目に、このブログで過去に登校したエントリを参考にして、Microsoft Word 7ページ分の「政権公約」を書いてみた。

約2時間足らずで書き上げることが出来たが、過去に書いた文章を引用することで「急ごしらえ」したものだ。

いい加減な部分、少し色あせてしまった部分等々が大いにあると思うが、基本的には私の政治信条(といっても、私は政治家ではないので、そんなものは実生活においてほとんど無用なのだが)に沿った内容を書いた。

暇な方には、ぜひとも暇つぶしにお役立ていただきたい。

なお、文書そのものの書き方に関しては、昨年(06年)自民党総裁選時の谷垣禎一候補の政権公約「『活力と信頼の国家』を創る 〜「絆」の社会を目指して〜」を参考にした。


「日本東京」政権公約 “和魂洋才の国家を目指して”

和魂洋才の国家を目指して
〜「減点主義」社会から「得点主義」社会への脱却〜



1.はじめに 〜次期政権の課題〜

(この国の行方)

我が国は現在、超高齢社会を迎え、4人に1人の国民が65歳以上という現実に直面している。2006年には、縄文時代以来初めて国民人口が減少するなど、我が国の先行きが無条件に明るいものであるとの根拠なき楽観論に浸っている余裕は決してない。

今、我々に求められているのは、清新で力強い新しい国家を創造することであり、持続可能性を持った社会を構築し、整備することである。

そのためには、我が国の行方を明確に表現したビジョンの提示が不可欠である。過去の世代と、現在の世代、そして未来の世代の絶え間ないパートナーシップを強固なものとし、且つ、「和魂洋才」の精神で新しい国家を創造しなければならない。


(「得点主義」社会への転換)

新しい国家の創造に当たって欠かせないものは、知力と胆力である。知力は単に学問を究めることによって養われるものではない。また、胆力は単に修羅場に遭遇すれば養われるというものでもない。

熾烈な競争激化が予想されるこれからの国際社会において、我々に求められるのは、後世に希望を満ち溢れさせるための国家環境を築くことであり、国民一人ひとりが真に価値ある知力と胆力を獲得することである。

そのためには、他人を劣位に見下すことで相対的に自己を優位に立たせるという、これまでの悪しき「減点主義」社会を改革し、たとえ少ない可能性しかなくても、国民一人ひとりが使命感を持って各々の仕事に挑戦するという、積極的で活発な「得点主義」社会に転換することが必要ではないか。


2.国家の自律を図る

テロリズムの発達により緊迫化した国際情勢の中で、我が国が確かなるビジョンを持ち、国際社会の中で名誉ある地位を確立するためには、何よりも主体国家としての自律が必要である。

そのためには、犯罪を防止するための努力を惜しまず、また、現実問題として発生してしまった犯罪を決して容認することない国民一人ひとりの高い意識が求められる。


(死刑制度の推進)

犯罪および殺人行為は容認されるものでないとの生命倫理の思想から、犯罪を許さない国家を形成するために死刑制度の執行を推進する。

深刻な財政面を鑑み、刑務所維持費用を削減し最小限に抑える手段とすると同時に、許されざる犯罪者の一生を国家が保護し養う必要性への疑問からも、死刑制度の執行を推進する。


(少年法の廃止または厳罰化)

被害者の名前や写真は野ざらしにし、税金でもって加害者の将来を保障するというのが現行の少年法の精神である。

加害者が20歳未満であるならば、たとえ集団虐殺をしても、集団暴行をしても、加害者の名前も写真も公にされることはなく、受ける刑罰も軽い。

ただでさえ苦しんで殺された被害者にその死後もひどい仕打ちをさせ、加害者を税金で厚遇し、一般社会で易々と生きていくことが出来るようにする少年法に、一体何の意味があるのか。

なぜ、被害者は二度も殺されなければならないのに、加害者は名前も顔も知られず、刑務所という場所での生活と出所後の生活を税金で保障されるのか。こうした観点から、少年法の廃止、あるいは、少年法の厳罰化を求めたい。


(自衛軍の保持)

警察予備隊を発端とする現在の自衛隊を我が国の自衛のための国軍と定め、日本国憲法に自衛隊の存在を「自衛軍」として明確化する。

侵略戦争実施の権利を放棄し、非核三原則を遵守し、原水爆を絶対悪とする恒久平和の理念を貫くとともに、国際社会における広い合意の下に「自衛軍」による国際的平和創出活動を推進する。


(公教育の抜本的見直し)

児童、生徒の個性を最大限発揮させるために、個性形成の土台となる基礎的学習指導を教育における最重要事項と位置付ける。
 
児童、生徒が精神的にゆとりを持ち、伸び伸びとした自由な環境で学業を受け、自主的、自発的な教育姿勢を持つことが出来るようにするために、少人数授業ならびに生徒の希望に沿った習熟度別授業の実施を推進する。
 
義務教育としての「六・三制」における初等教育、中等教育の年数区分を見直し、時代状況に応じて適切に変化を可能とする。
 
各学校に一名以上の常駐スクールカウンセラーを配置し、児童のメンタルヘルスケアを推進する。


(国立無宗教の戦没者追悼施設建設)

いかなる宗教に属する、または属さない人も、また外国からの訪日者も含めて過去の戦争での戦没者を追悼できる場所として、国立無宗教の追悼施設を建設する。

また、靖国神社の存在を宗教法人として明確化し、国立追悼施設との区別を図る。


3.多様な価値感を認める社会へ

昨今、時代のすう勢によって、特定の物質を取り扱うことが禁止されたり、実質上認められなくなったりすることが行われているが、これは危うい事態ではないのか。

「時代の流れ」や「国際的な流れ」によって人間の行動が制限されることは、少数意見の表現を尊重する民主主義社会下において、異常ともいえる事態ではないだろうか。

こうした現状における危機感と、将来における多様な価値観の共存・共生を期待すべく、民主主義の最大の価値を守り通して行きたい。


(分煙社会の構築)

たばこを喫煙することは全ての人間に与えられた権利であり、よって「喫煙権」というものが存在する。ただし、未成年者が「喫煙権」を発動した場合、わが国では法律により罰せられる。もちろん、「受動喫煙」を含め、たばこを吸うことを望まない人たちにとって「嫌煙権」というものも存在し、喫煙者は「嫌煙権」の存在を無視してはならない。

しかしながら、喫煙が合法である現状において、「喫煙権」は明確に認められた権利であり、「嫌煙権」という異なる権利でもって「喫煙権」を抑圧することは断じて認められるものではない。権利と権利を比較してどちらの権利のほうが重いと考えることは無意味であるし、どちらの権利も抑圧されるべきものではない。

私としては、喫煙者と非喫煙者を物理的に隔離することではなく、両者が共生できる社会を構築することが必要なのではないかと考えている。そのために、現実的で有効な手法として考えられるのが分煙であろう。

喫煙者と非喫煙者を対立させるのではなく、たばこが肺がんなどのリスク・ファクター(危険因子)であることを認識した上で、喫煙を望む者喫煙をし、受動喫煙を望まない者が不快な思いをしないよう、公共の場所などでの分煙化をすることが重要ではないだろうか。

喫煙を特定の場所で全面禁止とするのではなく、喫煙者と非喫煙者が共存できるように分煙化された社会を構築することが、「喫煙権」「嫌煙権」双方が尊重された民主的な社会を構築することに繋がると考える。


(男女共同参画社会の実現)

終身雇用制度が崩壊した長寿社会にあって、あたたかな育児環境を作り、出産後も女性が仕事にボランティア活動に働き続けるための社会を整備する。

女性が出産しやすい環境づくりや子育て中の家庭サポート策の強化策として、再雇用、短時間勤務、在宅勤務、フレックスタイム、ワークシェアリングの制度など、企業の就業形態の多様化に対する支援策を推し進める。伸びやかで調和のある男女共同参画型社会の実現が不可欠ではないか。

具体的な施策として、保育所の規制改革などにより待機児童3万人・公立保育所の定員割れ8万人という矛盾を解消するとともに、保育所の公設・民営化の促進、低年齢時保育、延長保育、病児保育など多様な保育ニーズに対応した保育所の整備を進め、待機児童の解消を目指す。

同時に、育児・介護休業の拡充強化を図ることで、再雇用、短時間勤務、在宅勤務など企業の就業形態の多様化を支援する。


4.観光立国の完成

国際社会における日本の独自性を高めるとともに、我が国の国民自身が我が国の特性を理解し、誇りに思えるような時代を築くために、観光立国政策を推進し、我が国の文化・芸術・娯楽を全世界に向けて幅広く啓蒙していくことが必要だと考える。

そのために、観光立国に向けての国際的環境の整備を行う意義も強調したい。


(中華民国政府との国交回復)

我が国と中華民国政府との国交遮断は、昭和五十三年の中華人民共和国政府との日中平和友好条約締結に当たりやむを得なかったものであり、文化や芸術等の観点から同一の高い理念を有する我が国と中華民国政府において、国交を回復することは自然なものである。

従来の中華人民共和国政府との友好関係は堅持しつつ、中華民国政府を国際社会における責任ある立場としての国家と認定し、文化交流や青少年交流等の相互理解のための事業の実行を推進する。


(「観光立県」政策の推進)

 各都道府県や地域が、それぞれの特色をアピールすることで税収の増加を図るとともに、地方分権を推し進める狙いを最大限に発揮する。地域の自然、歴史・伝統・生活を生かしたストーリー性をもつなど特色ある観光を進めるとともに、NPO等による地域活性化の取り組みを支援し、多様な拠点の形成を促進する。

また、全ての前提となる基本的概念として、都道府県が関係市町村との連携の下に、その特色に応じたきめ細かな計画で観光立県を進めるための方向性を確立したい。

観光立国にふさわしい日本の風土を甦らせるため、「日本列島復元10カ年計画」を策定し、復元事業を進めることが望ましい。神社・仏閣、史跡など日本固有の文化財や施設の維持、整備を行い、文化拠点・観光拠点として活用を図る必要がある。


(観光予算の増額と観光教育の推進)

観光振興、観光ODA、宿泊施設・交通アクセス等の国内観光の整備などに関する予算の増額を図るとともに、インターネット等、新しい情報ネットワークを活用した観光ビジネスに関する情報発信体制を整備する。

観光産業を21世紀の基幹産業として位置付け、その振興を図り250万人の雇用創出を具体的な目標として設定し、観光産業の振興のため、その核となるリーダーを養成する観光大学あるいは観光学科を設置することを推し進めたい。


(海外誘客の実現)

海外からの旅行者が安い費用で日本全国を旅行できるよう、国際感覚を持った宿泊施設の整備、食料等の共同仕入れによる価格の引き下げ、外国人観光客に対する訪日キャンペーン、ビザの手続き申請期間の短縮、入国手続きの簡素化などを進める。


5.地方の元気が日本の元気

現在、我が国には地域経済の元気を取り戻すことと、個性豊かな発展がなされることが求められている。

地方の再生こそが国家の再生の礎であり、いわゆる「シャッター街」に活力を取り戻させることや、日本の伝統や文化を保持しながら、「和魂洋才」の精神でもって、21世紀の国際社会を生き抜く知恵と工夫が求められよう。


(「ものつくり産業」への積極的支援)

地域経済の核となっている中小・中堅企業の経営を積極的に支援するため、公的信用保証制度の円滑な執行に努めるとともに、産業再生関連法に基づき、企業の過剰設備・過剰債務の円滑な解消を図り、企業の再建・再生を図りたい。

また、大学における知的財産の戦略的活用、大学発ベンチャーの創出など産官学連携を推進するとともに、大学等が有する「知」を最大限に活用し、関連研究機関、研究開発型企業による国際的な競争力のある技術革新のための集積である「知的クラスター」の創成を図ることなどにより、公共事業依存を脱し、科学技術駆動型の地域経済発展への転換を図り、「ものつくり」産業を発展させるとともに、地域経済を活性化する。


(都市の再生と公共交通サービスの改善)

伝統と文化を継承する個性ある都市づくりを目指す。都市機能の高度化、都市環境の整備及び住環境の抜本的改善を進め、都市の再生を図る。都市構造のバリアフリー化、下水道・廃棄物処理などの生活環境の整備、電線類の地中化、地下鉄等都市鉄道の整備、開かずの踏み切りの解消など、都市の再生を進める。

地域経済の活性化を図るため、地域・利用者の視点に立ち、公共交通機関のサービスの改善、活性化を図る。


(林業・水産業の振興)

林業については、森林の持つ国土保全、水源の涵養、自然環境の保全、地球温暖化防止などの多面的機能を持続的に発揮できるよう、林業地域の市町村に対する「林業整備金制度」の創設、広葉樹を取り入れた施業等を進めるとともに、中核的な林業経営への施策の集中、木材産業の振興、流通加工の合理化などを進める。

水産業については、漁獲量の総量管理制度の徹底等による水産資源の適切な保存・管理体制の確立と水産動植物の増殖及び養殖の推進、意欲ある中核的漁業者への支援、漁獲・陸揚げ・加工・流通・消費を一体的に捉えた基盤の整備などを推し進める。


6.おわりに 〜国際社会における「和魂洋才」国家の創造〜

「グローバル・スタンダード」との掛け声の下、様々な国や地域の特色が単一化してしまうのは残念なことであり、日本にとってそれは危機的な状況だと位置付けることが出来る。

我が国が「減点主義」的価値観から脱却し、「得点主義」的価値感を強く構築することで、我が国の特色を国際社会に最大限アピールするとともに、国民が自国の文化や芸術の素晴らしさを肌で感じることにより、誇りを持ったポジティブな国際人になることを期待したい。

そのためには、国民一人ひとりが、何よりも「和魂洋才」との価値感を抱くことが不可欠であり、海外諸国から称される日本人の仕事への勤勉さと、多様な価値感を活発に受け入れることでの日本文化の発展と産業の振興を強く望む。



<追記>

映画評論家・町山智浩氏のブログを除いてみたら、このブログで以前取り上げた『ザ・シンプソンズ MOVIE』の日本語吹き替え版予告編の動画がUPされていた。

ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

何とも心が空っぽになってしまった感じだ。

といっても、「心が空っぽ」になったのは、何もこの予告編を見てしまったからだけではない。

私事で大変恐縮だが、私はここ数日間のうちにして、プライベートで「心が空っぽ」になってしまった。
「心が空っぽ」になった時には、一からやり直してみることが大事である。
立川談志師匠の言葉ではないが、何も一から出直さなくても、二とか三とか四とか五などから出直してもよいだろう。

新首相が誕生したことだし、ここらで私は気分を一新して、これからもブログの運営に当たりたい。

もちろん、日常生活もきちんと行いたい。

それでは少し時間が早いですが、みなさん、おやすみなさい。

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2007年09月07日

「死刑制度」ノススメ

死刑制度を存置している国の国民として、責任を果たさねばなるまい。

美祢のPFI方式刑務所:「定員到達時に正念場」 鳩山法相が視察し感想 /山口

 鳩山邦夫法相は5日、民間の資金やノウハウを生かすPFI方式による全国初の刑務所「美祢社会復帰促進センター」(美祢市)を視察した。法相は「初犯で再犯の可能性が低い受刑者を集めていることは理解した」としながらも、ビジネスホテルを思わせる威容に「(東京の府中刑務所と比べ)余りの落差にがく然としている。刑務所に入ってもいいという人が出ては困る」と語った。

 鳩山法相は男子収容棟や女子の職業訓練棟、中央警備室などを視察。会見で、法相は「(運営は)非常にうまくいっているが、受刑者が定員に達した時に正念場を迎える」と述べた。また、同方式による刑務所建設の今後の見通しについて「府中刑務所級の(重犯の)受刑者を収容するとなると、さらなる工夫や努力が必要。それが真の意味での正念場」と語った。
 5日現在、同センターに収容されている受刑者は男女合わせて284人で、定員に対する収容率は28%。【住田里花】

(6日、毎日新聞)

やっぱり刑務所、×社会復帰促進センター

 鳩山邦夫法相は7日午前の記者会見で、 運営の大半を民間に委託する全国初の刑務所「美祢社会復帰促進センター」 (山口県美祢市)を視察したことに関連し 「社会復帰促進センターという名前はいかがなものか。刑務所の方がいい」と述べ、名称変更を検討する考えを示した。

 法相は「社会復帰促進の目的があるのは事実だが、 犯罪が確定した受刑者には懲らしめの意味がなければいけない」と強調した。

(7日、日刊スポーツ)

今回、鳩山邦夫法相が語った感想は、極めて自然なものだ思う。

加害者の「社会復帰」を促す環境を整備するのは結構なことだが、それは加害者が「償うべき罪」を償ってからの話だろう。
刑罰という視点が欠落したまま、単に加害者の「社会復帰」を訴えることは本末転倒であり、そんなものを国営する意義など微塵もない。

また、鳩山法相は先月31日(金)、法相が執行署名する「死刑制度」についても、次のように述べている。

鳩山法相:前法相の「私案」否定 外国人研修・技能実習、死刑執行

 鳩山邦夫法相は31日、報道各社の取材に応じ、海外からの単純労働者受け入れを容認する長勢甚遠前法相の「私案」に触れ「私は単純労働者を入れるという考えはとっていない」と、事実上否定する考えを示した。

 長勢前法相は5月、外国人研修生を「安価な労働力」に使っているとの批判が強い外国人研修・技能実習制度を見直した上で、一定の条件下で「短期外国人就労制度」を新たに創設するという私案を公表した。外国人の単純労働者を受け入れないという政府方針に沿わない内容で注目された。

 これに対し鳩山法相は「単純労働者を受け入れる時代の要請がそこまであるとは思えない。外国人犯罪の増加につながる恐れもある」と私案を疑問視した。

 一方、死刑制度について「どんな凶悪犯罪を犯しても自分が命を絶たれないというのでは犯罪の抑止効果に大きな疑問が出てくる。制度をなくすべきだという意見には理由がない」と述べた。

(1日、毎日新聞)

「死刑制度」については様々な議論があると思うが、現時点において、私は「死刑制度賛成・推進」の立場を取っている。
これは、日本が法治国家であることを尊重し、いわゆる“法の精神”を受け入れる意味合いからもそうなのだが、それとは異なる“制度そのものの機能性”という観点から考察してみた時にも、「死刑制度」は高い価値を有するものだと思う。

まず、一つ目に「生命倫理」の観点から、犯罪や殺人などの凶悪行為は、断じて容認されるべきものではないと考える。
江戸時代、日本には「仇討ち」制度があった。これを現代に復活させることは好ましいとは思えないが、心情的に、被害者が加害者への極刑を望む感情は理解できる。
もちろん、被害者の遺族すべてが加害者に対して極刑を望んでいるわけでもなく、遺族の方の中にも「死刑制度反対」を主張されていらっしゃる方もいる。
単なる「被害者遺族の気持ちを考えたことがあるのか」という理屈だけでは死刑制度を肯定できないのは、このためである。
事件の真相究明がなされた後、では、どのように加害者が罪を償うのが最善かということを考えた時、先述の思想から、犯罪を許さない国家を形成するための「死刑制度」執行は推進されるべきではないだろうか。

次に、深刻な状況下にある「国家財政面」を鑑み、長期間に渡り犯罪加害者をかくまう“刑務所”の維持費用や、受刑者への過剰な“生活保護”を削減し、最小限に抑える手段として、「死刑制度」は必要だと思う。
許されざる犯罪を犯した人間の一生を、どうして国家が保護しなければならないのか。
他者の生命とその周辺の者の平安を奪った人間の「衣食住」を、どうして“税金”でもって養わなければならないのか。
こういったあらゆる問題を解決するためにも、死刑制度の執行を推進する必要性はあろう。

鳩山法相が記事中で述べていたような「死刑制度の抑止力」については改めて書く必要もないと思うが、愛知県で起きた、先日の“磯谷利恵さん拉致・殺害事件”においては、加害者の一人が「死刑になりたくないから」と言って警察に出頭してきた。
つまり、「死刑の抑止力」の働く先は、犯罪が起こる前であることを年頭に考えるのがこれまでの一般意識であるが、実は、犯罪が起きた後にもこの「抑止力」は活きてくる。
もちろん、この「抑止力」が人間に対して犯罪を起こさないために働くことが重要であることは、言うまでもない。


ここまで「死刑制度」賛成派の立場から文章を書いてみたが、同時に、「死刑もまた殺人である」との指摘もあるのが現実だ。
そういった意見も考慮に含め、私は「出来れば使いたくないが、現時点において使わざるを得ないもの」という性格として、「死刑制度」というものを捉えている。
つまり、「死刑制度」には賛成だが、死刑など執行する必要がないような社会が築かれることがなおよい、という考え方である。

いわば、「死刑制度」がおかしいのではなく、それほどの犯罪を犯す人間がおかしいのだ。
その点を認識しておかなければ、「死刑制度」にまつわる論議は、いつまでも堂々巡りとなってしまうだろう。

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タグ:安倍内閣
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2007年08月12日

昔話「キジも鳴かずば」からみる戦争と平和

連日、猛暑日が続く。

自民党の参院選大敗を受け、“谷垣副総理”誕生だの、森喜朗元首相は“福田官房長官”を希望しているだの、永田町の夏は今年もむさ苦しい。

政局ネタが中心のこのブログだが、今夜ばかりは「残暑見舞い」というわけではないが、涼しくなるような話をしたい。

2005年11月2日に『まんが 日本昔ばなし』(毎日放送)で放送された、「キジも鳴かずば」の物語である。

「キジも鳴かずば」

これは昔本当にあった恐ろしくも悲しいお話です。

犀川という川のほとりに小さな村がありました。
この村では毎年秋の雨の季節になると、犀川が氾濫して村人たちはたいそう困っていました。

この村に弥平という父親と、お千代という小さい娘が2人で暮らしていました。
お千代の母親はこの前の洪水で死んでしまったのです。しかし2人は貧しいながらも幸せに暮らしておりました。

そしてまた、雨の季節がやってきました。
その頃、お千代は重い病気にかかっていました。貧乏なのでお医者を呼ぶこともできず、父親がお粥を食べさせようとしても首を横にふるばかり。

「おら、あずきまんまが食いてえ。」

あずきまんま。それは、お千代がこの世で知っているたった一つのごちそうでした。
まだ母親が生きていた頃、たった一度だけ食べたことがあるあずきまんまを、お千代は覚えていたのです。
弥平には小豆どころか、一つぶの米さえありません、しかし何かを思い立ったようで、家を出ていきました。

雨の中戻ってきた弥平の手には米と小豆がありました。
弥平は生まれて初めて盗みを働き、地主様の蔵から一にぎりの米と小豆を盗んできたのでした。
そして、お千代にあずきまんまをこしらえて食べさせたのでした。

おかげでお千代は日ごとに元気になり、何日か後には、起きられるまでになりました。
しかし、一方、地主様の家では、米とあずきが盗まれたことに気づき、たいしたぬすみではなかったものの、念のためと言って番所に届けたそうな。

その頃、すっかり元気になったお千代は家の外に出てまりつきをしていました。

「とんとんとん。おらんちじゃ、おいしいまんま食べたでな。あずきのはいった、あずきまんま。とんとんとん。」そのお千代の手まり歌を、近くの畑にいた百姓が聞いていたのです。

それからまた雨が降り続きました。
村人たちは村長の家に集まって相談していました。

「このまんまじゃ、また村は流されてしまうぞ。」
「人柱を立てたらどうじゃろう。」

人柱、それは災害などで苦しんでいる人々が、生きた人間をそのまま土の中に埋めて、神様にお願いするという恐ろしい習慣でした。人柱に選ばれるのは、たいがい何か悪いことをした罪人でした。

「この村にも、罪人がおらんことはねえだで…。」

先日お千代の手まり歌を聞いていた百姓が、弥平が地主の蔵から米と小豆を盗んだことを村の衆に知らせたのでした。

その夜村人は弥平の家に行き、すがるお千代を引きはなして弥平を引っ立てて行ってしまいました。

「お千代、おとうはすぐ帰ってくるで、心配せずに待ってろや。」

そう言って二度とは帰ってきませんでした。

弥平は犀川の氾濫を防ぐための人柱として埋められてしまいました。
たった一すくいの米と小豆を盗んだだけで、人柱とは、と同情する村人もおりましたが、どうにもなりませんでした。

その年、川は氾濫することなく、雨の時期は過ぎ去りました。

お千代は、自分が歌った手まり歌がもとで、おとうが人柱にされたことを知り、声を限りに泣き続けました。
お千代の泣き声は、村人の心に突き刺さりました。

そして、ある日、お千代はふっつりと泣くのをやめると、一言も口を聞かなくなってしまったそうです。
誰に声をかけられても、全く口をききませんでした。

何年か経ち、お千代はすっかり大きくなりましたが、相変わらず誰とも口をきくことはありませんでした。

ある年のこと、一人の猟師、山に入っていきました。そして雉の鳴き声を聞きつけて引き金を弾きました。
弾は雉に命中し、草むらに落ちていきました。
猟師が仕留めた雉を探しに草むらをかき分けていくと、そこには雉を抱いたお千代が立っていました。

「雉よ。おまえも、鳴かなければ撃たれないですんだものを…。」

お千代は自分が手まり歌を歌ったばっかりに、おとうがつかまり、人柱になってしまったことを思い出して、そう、つぶやいたのです。

「雉よ。おまえも、鳴かずば撃たれまいに…。」

猟師はお千代の声を聞いて驚きました。

「おめえ、口がきけただか?」

お千代は猟師には何も答えず、雉を抱いたまま去っていってしまいました。

それから、お千代の姿を見たものは誰もいませんでした。
ただ、お千代がしゃべった最後の一言がいつまでも村人の間に、悲しみとともに語り伝えられたそうです。

この度、どうしてこの物語をご紹介しようと思ったのかというと、J-CASTニュースに、以下のような記事が掲載されていたからである。

「クレヨンしんちゃん」 「鬱な展開」にネットで大騒ぎ

家族向けだったはずの人気マンガ「クレヨンしんちゃん」が、「鬱な展開」になっているとネットで大騒ぎだ。しんちゃんの先生「まつざか梅」の恋人がテロに巻き込まれ死亡。「梅」はウィスキーをラッパ飲みし、涙を流しながら、後を追おうとしている。単行本の最新巻には、死んだネコの上をハエが飛び回る絵、といった具合だ。ネットでは「これテレビでできねえよ」、原作者の臼井儀人さんに対して「残酷だな」などのカキコミも出ている。


「月刊まんがタウン」での「鬱な展開」が波紋を呼んでいる

ネットで騒ぎになったきっかけは「月刊まんがタウン」の2007年9月号。しんちゃんの幼稚園の先生の恋人で接骨医の「行田徳郎」がアフリカで死亡、その死因がホテルで起こったテロ、とい物騒なストーリー。「負け犬」キャラだった「梅」に恋人ができたことは読者から歓迎され、マンガも「梅」と「徳郎」の恋愛ストーリーを数多く描いていた。この号では「梅」はひとけの無い林に一人で入り、ウイスキーをラッパ飲みし、「徳郎さん・・・もうすぐあなたの所へ行くからね」と涙を流すシーンで終わっている。


 ファミリー向けギャグマンガのはずが

「クレヨンしんちゃん」といえば、92年にテレビ朝日系でアニメ化され、ファミリー向けのギャグマンガという印象が強い。それだけに今回のマンガには驚いたファンが多いようで、掲示板やブログを見ると「ショックだ」という感想が相当数ある。「2ちゃんねる」では、「クレヨンしんちゃん(漫画)が鬱展開な件について」などのスレッドが立ち、「祭り」が始まっている。

「ファミリー漫画でこんなんを・・・」
「しかも事故とかじゃなくてテロで死んだのかよ」
「あのお気楽振りは一体どこに言ったんだ」

また、この「鬱な展開」という話題が、07年8月13日発行の単行本「クレヨンしんちゃん」46巻にも飛び火。この巻には、しんちゃん一家が飼っている犬の「シロ」の母犬が、保健所の車で運ばれるシーンが描かれていたり、また、「シロ」が面倒を見ていたネコが死んで、ハエがたかっているシーンも出ていて、「残酷で子供に見せられない」「クレヨンしんちゃんは、どうなっちゃたの?」といった感想が出ている。

J-CASTニュースは「まんがタウン」編集部に取材を申し込んだが、「今回の件につきましてはコメントは差し控えさせてもらいます」と答えた。

(12日、J-CASTニュース)

8月15日が近付いていることもあり、また、先日から戦争を取り扱ったテレビ・ドキュメンタリーやスペシャルドラマが放送されていることもあり、「生きること」の大事さが、今、社会全体で一つの大きなテーマとして浮上しているような気がしてならない。

私の周辺にも、ここ最近、少し前では考えられなかった形での餓死や生活保護制度の問題、孤独死や命を軽視した犯罪など、“生命”にまつわる、憂うべきニュースが飛び込んで来ている。
これが果たして「生活格差」の問題だと断定出来るものなのかどうか分からないが、しかし、我が国が、このままズルズルと、平和主義を放棄した“普通の国”になってしまうのではないかという懸念が、中高年世代に広がっているという話も聞かれる。

私自身は、決して我が国は「侵略戦争の出来る」という意味では“普通の国”になってはいけないと思うし、一部の方が主張しているが、安倍政権が戦争を美化する風潮や戦争を肯定するような動きを誘導しているなどとは、まったく思っていない。
しかし、同時に、先日の「原爆被爆者認定見直し」のニュースを聞くと、「では、今まで“被爆認定申請”を却下され、死んでいった人々にはどのように説明せよというのか」とも思えてならない。

「平和」とは、維持するとか守るとかいう性質のものではなく、築き上げ、勝ち取る性質のものだという言葉がある。
平和状態であった過去の体質を、時代背景や周辺諸国の情勢も変わった今なお、何とか温存させようとすることは、果たして、平和を創ることだろうか。平和を生み出すことだろうか。
「人殺しは良くない」といって、『かちかち山』のサルを殺さないように改編したり、『桃太郎』が最後にはオニと一緒に家に帰るといった話に改編をすることは、決して「平和」を創り上げることなどではなく、表面上だけ、「平和」をごまかしのエキスで上塗りすることだ。
『クレヨンしんちゃん』にしても、過去の平和状態が打ち壊されるようなエピソードが出てきたからといって、読者というのはそれを否定せず、受け止めて行かねばならないのである。
“予定調和”が打ち崩されたことに動転しているようでは、「平和」のバージョンアップは出来まい。

そろそろ、「日本」という患者に嘘を吐き通すことはやめようではないか。
それが患者本人にとって苦痛でも、また、家族の側にとって苦痛でも、「日本」という患者に現在の病名を告知すべき時ではないのか。
「戦争反対」と口で言えば、戦争がなくなるわけではない。周辺諸国の脅威がなくなるわけでもない。
我々にとって大事なのは、事実を知ること、事実を受け止めること、そして、間違った歴史を繰り返さないことの3点だ。
口先だけではいけない。それどころか、「戦争反対」などという言葉を軽々しい気持ちで使うことによって、その言葉の持つ意味が薄まってきている現状である。

『モンティ・パイソンの人生狂騒曲(“Monty Python's The Meaning of Life”)』のオープニングテーマ、“The Meaning of Life”によれば、「我々の存在は、単なるDNAの自己再生過程に過ぎないのか?」ということであるが、人間の生きる意味について考えると、それこそ一生分の時間をかけても答えは出せそうにない。

話は飛躍し、自分でも意外な内容のエントリとなった。
「残暑見舞い」ごときのつもりが、結果的に蒸し暑い文章になってしまって申し訳ない。
それにしても、今夜はことさらに暑い。くれぐれも熱中症にはお気を付けて。


参考:http://plaza.rakuten.co.jp/picco6/diary/20050608/

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2007年08月04日

今こそ“反・禁煙”を訴える

喫煙は悪か。喫煙者は迷惑者か。

<タクシー>全面禁煙、東京も来年1月から実施

 全国的な禁煙タクシーの普及を受け、東京乗用旅客自動車協会(東京都千代田区)は3日、加盟する389社(約3万4000台)の全面禁煙化を決めた。都道府県レベルでは既に大分、長野、神奈川の3県が踏み切っており、同協会は来年1月7日から実施する方針。個人(約1万8000台)を除いた都内の法人タクシーでは、約9割で喫煙ができなくなる。
 同協会によると、同日開かれた理事会に議案を提出し、承認を受けた。当初は▽他県などへの長距離客が多く長時間禁煙を強いる▽営業時間が深夜に及ぶため酔客らとトラブルになる恐れがある――などの理由で、禁煙化は全体の2割にとどめる方針だった。
 しかし、他県のタクシーをはじめ公共交通機関全般での禁煙化が進んでいることを考慮。同協会は「タクシーは個室に近いが、不特定多数の人が利用する。時代の流れに従った」と説明する。
 全国乗用自動車連合会(東京)によると、3月末現在、全国のタクシーは計25万2760台。そのうち禁煙車は1万9543台(7.7%)で5年前(2431台)の約8倍にもなった。今月には静岡県、10月には富山県での導入が決まっている。東京都個人タクシー協会も検討を進めているという。【高橋昌紀】

(3日、毎日新聞)

かねがね、全国的にというか国際的に広がる禁煙運動については意見を述べたいと思っていた。
しかしながら、これといって良いきっかけがつかめぬままズルズルと時間が経ってしまったのであるが、来年1月7日から都内のタクシーが全面禁煙になるというニュースが報じられた今こそ、私の「たばこ」論について書くべきだと感じたので、以下に書きたい。

まず、気になるのは「時代の流れ」として禁煙運動が広まっていることだ。
東京乗用旅客自動車協会の富田正孝会長は、記者団に対し、「時代のすう勢が禁煙化に向かっている。そろそろ決断する時だろうと考えた」と話しているが、時代の空気や流れによって、特定の物質を取り扱うことが禁止されたり、実質上認められなくなったりすることは危うい事態ではないのか。
また、「時代の流れ」や「国際的な流れ」によって人間の行動が制限されることは、少数意見の表現を尊重する民主主義社会下において、異常ともいえる事態ではないだろうか。

厚生労働省は「21世紀における国民健康づくり運動」において、たばこは、肺がん、心筋梗塞、肺気腫など多くの疾病や、妊娠に関連した早産・流産などの異常が起きる「リスク・ファクター(危険因子)」であるとしている。
『WHOの基礎疫学』(三煌社)において、リスク・ファクターは「“リスクファクター(risk factor)”という言葉は、病気の発生リスクを高めるが、単独では、病気を引き起こすのには不十分な要因を意味する言葉として一般的に用いられています」と定義されており、リスク・ファクターに過ぎないたばこが特定の病気を誘発するものではないと考えられる。

また、「喫煙者集団」と「非喫煙者集団」を比較して疫病が発生するパーセンテージを測定した疫学研究もなされているが、「たばこを吸う人たち」「吸わない人たち」を比較対象にして肺がんの発生リスクを比べることは、ほとんど意味がない。
なぜなら、喫煙と関連のあるとされる肺がんなどの疾病は、住環境、食生活、運動量、ストレス、遺伝的要因など様々な要因が影響して発生するものであるからだ。
動物についての実験も同様に言え、マウスを使った実験では、たばこ煙のみを吸入させることでは、がんを発生させることは困難だということが分かっている。

また、日本における男女別の肺がん死亡率と喫煙者率の推移を見ると、たしかに、肺がんで死亡している人が増長していることが分かる。
しかしながら、最近40年間における肺がん死亡者のうち、男性喫煙者率は明らかに低下し、女性喫煙者率はほぼ横ばい状態である。
喫煙の影響が現れるには、20〜30年程度のタイムラグを見る必要があるとも言われるが、タイムラグを考慮しても、肺がん死亡率の動向は喫煙者率の推移とは多くの点で一致しない。
たとえば、男性の喫煙者率は、1950年には約80%だったのが、2000年には約55%へと著しく低下しているが、男性の肺がん死亡率は、1950年には約5%だったのが、2000年には約80%へと著しく上昇している。
「たばこが肺がんを引き起こしている」ということは、少なくともたばこ単独が肺がんを発生させているという意味においては、科学的根拠に則っていない事実誤認だと言わざるを得ない。

「受動喫煙」によって非喫煙者の肺がん発生リスクが高められているという主張も良く聞かれる。
たしかに、非喫煙者にとって、たばこの煙が不快感をもたらしたり、火災事故の要因になったりもするが、「副流煙」が非喫煙者の疾病要因となっているという統計は立証されていないのが現状だ。
1993年に米環境保護庁(EPA)が報告した『受動喫煙による呼吸器への健康影響』の中では、「環境中たばこ煙を原因とする肺がんにより米国で年間3000人の非喫煙者が死亡している」とされているが、後に、米国議会調査機関(Congressional Research Service)は、この報告書および報告書中のデータについて、「これらの統計的証拠は、受動喫煙が健康に実質的な影響を与えると結論付けるには十分でないと考えられる」と、EPA報告書の科学的有効性を否定している。

2003年5月、英医学誌『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』に発表された論文の中では、調査対象のうち、喫煙習慣のある配偶者を持つ非喫煙者約35,000人について、統計的に有意な疾病リスクの増加は認められていないと記述されている。
最終的に、論文は「環境中たばこ煙への曝露と虚血性心疾患および肺がんとの関連性は、一般的に考えられているものよりかなり弱いと思われる」と結論付けており、「受動喫煙」ががんを誘発するということはイメージによってのみ流布されているものだと指摘せざるを得ない。
なお、この調査は、米カリフォルニア州の成人約12万人を1960年から1998年までの長期に渡って追跡調査した結果、まとめられたものである。

たばこの「依存性」についてだが、精神依存の面においては、コカインやコーヒー、アルコールなどと比べて弱いものであることが分かっている。
身体依存、精神毒性の面から言っても、ヘロインやアルコールによって生じるような症状は、たばこ(ニコチン)からは見られない。
「アルコール依存症」という言葉があっても、「たばこ依存症」という言葉がないのはこのためだ。
たばこ(ニコチン)によって精神的錯乱状態が引き起こされるという事実は存在しないのである。

たばこを吸うことはすべての人間に与えられた権利であり、よって「喫煙権」というものが存在する。ただし、未成年者が「喫煙権」を発動した場合、わが国では法律により罰せられる。
もちろん、「受動喫煙」を含め、たばこを吸うことを望まない人たちにとって「嫌煙権」というものも存在し、喫煙者は「嫌煙権」の存在を無視してはならない。
しかしながら、喫煙が合法である現状において、「喫煙権」は明確に認められた権利であり、「嫌煙権」という異なる権利でもって「喫煙権」を抑圧することは断じて認められるものではない。
権利と権利を比較して「どちらの権利のほうが重い」と考えることは無意味であるし、どちらの権利も抑圧されるべきものではない。

私としては、喫煙者と非喫煙者を物理的に隔離することではなく、両者が共生できる社会を構築することが必要なのではないかと考えている。
そのために、現実的で有効な手法として考えられるのが「分煙」だ。
喫煙者と非喫煙者を対立させるのではなく、たばこが肺がんなどのリスク・ファクターであることを認識した上で、喫煙をしたい人は喫煙をし、受動喫煙を望まない人が不快な思いをしないように、公共の場所などでの「分煙」化をすることが重要ではないだろうか。
喫煙を「全面禁止」とするのではなく、喫煙者と非喫煙者が共存できるように「分煙」化された社会を構築することが、「喫煙権」「嫌煙権」双方が尊重された民主的な社会を構築することにつながると思う。

私は「嫌煙家」ではないものの非喫煙者であるし、マナーの悪い喫煙者については不快に思うこともしばしばある。
また、日本医師会で禁煙社会の整備を訴えている知人の努力を考慮すると、「反・禁煙」の記事を書くことは、心情的に多少きついものがあるが、私は、「時代の流れ」とのスローガンの下、人権の抑圧が公然的に広がることを危惧してやまない。

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タグ:禁煙 たばこ
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2007年03月09日

ハーゲンダッツ“練乳いちご”を食して

今日、話題の新製品を食べてみた。
今月5日(金)から発売されている『ハーゲンダッツ クリスピーサンド 練乳いちご』だ。
一ヶ月ほど前から「発売される」と聞いて、楽しみにしていた。無事に5日から発売されたわけだが、買うのを忘れてしまったり、時間に余裕がなかったりで、この一週間買えずにいた。

そして、今日。
「念願かなって」というほどのものでもないだろうが、ついに、セブン・イレブンで税込294円の『クリスピーサンド 練乳いちご』を購入した。

“New”と印刷された箱をミシン目に沿って開け、ハーゲンダッツのロゴが印刷された袋を開くと、そこは“お菓子の夢の世界”だった。
さすが、果汁・果肉23%だけはある。一口で、「練乳」「いちご」も感じる仕組みのようだ。
食べ進めていくと、「いちご」よりも「練乳」を強く感じるようになってきた。そのあたりまで来たら、ウエハースの部分が効いてくる。『クリスピーサンド』ならではの、「練乳いちご」だといえるだろう。

つまり、それは美味しかった。

新しくなった『生茶』のTVコマーシャルでは、「うまいは甘い」という北大路魯山人の言葉が使われているが、たしかにこの『練乳いちご』を食べると、そう思えてくる。

うまいは甘い。『練乳いちご』は、うまいし、甘い。

ラインアップ 商品情報 ハーゲンダッツ
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2007年01月29日

ニッポンの教育再生

「納豆ダイエット」の捏造問題で、フジテレビ系列で放送されていた『発掘!あるある大辞典U』(関西テレビ)は、打ち切りが決まった。
その影響で、先週に続き、後番組の『スタ☆メン』は1時間前倒しで放送。9時台には、24日(水)に提出された教育再生会議の第一次報告について触れていた。

●「ゆとり教育」見直し
毎度言われることだが、「ゆとり」と「ゆるみ」は違う。
詰め込み型教育の反省から生まれたのが、「ゆとり教育」だったのではないだろうか。
私は、「ゆとり教育」とは、生徒に知識を押し込ませるのではなく、生徒一人ひとりの個性を伸長させる教育方法だと思う。
当然、生徒には基礎学力を身に付けさせる。その上で、「応用」レベルの学力を身に付けるかどうかは、生徒の判断次第。
どの分野の「応用」を選ぶか、についても、生徒一人ひとりの個性が出るだろう。
ただ、もちろん、「とりあえず手当たり次第に勉強してみて、その中から自分の興味あるものが見つかる」という場合も多々ある。
だから、いかなる教科も「基礎」は満遍なく――。そして、生徒がさらに興味を持った教科については、各自がその教科の「応用」に取り組む。
生徒に「自分は何をやりたいのか」を明確化させて、「あの教科もこの教科もやらなきゃ」といったことをなくして、“精神的ゆとり”を持たせることが望ましいと、私は思う。

元最高検検事の堀田力氏らが「教育再生民間会議」なるものを設置し、はじめこのニュースを聞いたときは、若干胡散臭く感じたのだが、提言を読んでみると、「ゆとり教育」に関しては、私は、本家よりはこちらの考え方に近い。
ただ、「釣銭を間違えない程度の算数の知識と、新聞の見出しを読める程度の国語の知識」(教育再生民間会議の提言より)で十分――という考え方にはいまいち同調できない。
他にも異を唱えたい箇所は多いので、この「提言」が私の意見というわけではない。

●「いじめた児童・生徒」の出席停止
昨晩見た『スタ☆メン』では、教育再生会議のメンバーでもある渡邉美樹・ワタミ社長が、この項目については賛成できないと言っていた。
「賛成できない」議員がいても、それを提出してしまう教育再生会議とは何なのか?と思うが、私個人は、この項目に賛成する。
いじめには、「空気」としてのいじめが指摘されるが、暴力という面から見れば、主犯格的な児童や生徒が存在することが多く、そういった児童や生徒が教室から排除されれば、いじめはストップされる可能性が高い。
いじめ問題を考えたとき、私は、何よりも大事なのは「今起きているいじめを止めること」ではないかと考えている。
いじめ問題に取り組む中嶋博行弁護士が指摘しているように、学校は、いじめた生徒=犯罪者の更生施設ではない。
学校は、普通の子供が、普通に学校に通い、普通に勉強が出来て、普通に友達と遊ぶことの出来る場所であるべきだろう(ここでいう「普通」というのは、暴力行為を振るったりしない生徒を指すのであり、生徒を画一化させるといった主旨ではない。それこそ、“ゆとり教育”の考え方に反する)。
いじめた子供を更生させる場所としては、保護観察所もあれば、少年院もある。そこで、しっかりとした「反省」を促すことが、そのような「いじめた子供」のためにもなるのではないか。

●「教育バウチャー制度」の導入
これは、教育再生会議の第一次報告に含まれているものではなく、あくまで渡邉氏が導入を希望しているというものだ。
この制度は、簡単に言えば、「教育を受けるクーポン」(バウチャー)を使うことによって、学校選択の自由が生まれるというものだ。
公立において、定められた学校に行かなければならないというわけではなく、各自の判断で、行きたい公立学校に行くことが出来る。
「行きたい公立学校」に選んでもらえるために、各学校は、魅力ある特色作りを行い、個性尊重教育の土台となる、という考えだ。
学校というところに、自由競争と市場原理を導入する、とも言い換えられる。
昔、このアイデアを聞いた時は、最初は私も良いと思ったが、少なからず疑問点も出てくる。
特色の派手でない学校は、最悪の場合には、企業で言うところの「倒産」、つまり「廃校」となるわけだが、これは、むしろ、行きたい学校を選べないということに繋がるのではないか。
結局、「進学率の高い学校」に生徒が集中し、その学校に入学できた生徒と、出来なかった生徒とで、新たな軋轢を生み出してしまうのではないか。
「地元の学校に通う」という概念がなくなることにより、地域コミュニティの崩壊に繋がるのではないか。そして、「地域」「親」「学校」というトライアングルの関係は破綻してしまうのではないか。
各家庭の持つ「バウチャー」の金額などに差が生じ、結局は金持ちの子供ばかりに選択の自由が生まれ、さらに「教育格差」が進められてしまうのではないか。

他にも、「ボランティアの必修化」という言語矛盾を含んだ項目もある。
今回の教育再生会議の報告には、「つっこみどころ」が満載なのだが、この再生会議が首相の諮問機関に過ぎず、従来通り、最終的な政府としての教育方針の決定は「中央教育審議会」が行うことを示唆しておきたい。
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2006年11月26日

「本物の日本料理」という日本文化

少し前の話になるが、「日本食」をめぐるニュースがあったので、お知らせしたい。

トレビアンな和食店に JETRO 仏で“合格証”
【パリ=島崎雅夫】グルメの国フランスで、日本貿易振興機構(JETRO)パリセンター(中井毅所長)が1日から、「正統」な和食を出す日本料理店を推奨する制度を正式にスタートさせる。覆面審査員がフランス国内の日本料理店を採点、合格店に推奨マークを交付する。
 懐石やスシ、天ぷら、焼き鳥などを提供する日本料理店はパリを中心に全仏で約600店あるが、料理人が日本料理店で修業したことがないのに、日本食ブームに便乗して、中華やベトナム料理店から衣替えした日本料理店が目立ってきた。
 このため、JETROはフランス人への「道しるべ」を示す一方、日本食や日本食文化の認知度向上を狙い、推奨制度発足を決めた。
 仏料理ガイドのミシュランにならって、覆面審査員による採点方式を導入したが、格付けをするわけではない。8人の覆面審査員は今年夏から日本料理店を訪問、店舗の構えや衛生状態、スタッフの態度、メニュー、味などをチェックしており、近く、50点満点で7割以上を得た店を発表、推奨マークを交付する。
(2006年10月1日、読売新聞)


一部からは、「国が食文化まで統制するとは何事か」との声があるが、当然、私はJETROの今回の行動を支持する。

まず何よりも、あやまったものが、堂々と、日本の食文化として広まることはよろしくない。
今回問題となっているのは、現地の日本人間で「ニセジャポ」と呼ばれるパリの日本料理店であるが、そこでは、ほとんど創作料理に近いものが“日本食”としてメニューに出されているのだ。
「ニセジャポ」には、記事にもあるように、料理人に日本人はおろか、日本料理を学んだ経験のある人がいないことが多い。
メニューに「焼き鳥」とか「すし」とか書いておけば、どんなものでもそれは日本料理になる、という考え方なのだ。
こういったことによって日本の食文化が正しくない形で伝えられてしまうことに、一人の日本人として、純粋な危機感を覚える。

しかも、より問題なのは、「ニセジャポ」によって、日本食の安全性そのものが疑われてしまうことである。
FNNによれば、過去に「ニセジャポ」の店で、日本では使わない淡水魚が「刺し身」として出され、食中毒が発生した事例があったという。
パリの日本食レストランで、「刺し身」から食中毒が発生したとなると、それが世界全体の“日本食”マーケットに与える影響は、実に大きい。
それは、たとえその「刺し身」が日本食ではない、としてもだ。普通、人は、日本料理店で出された「刺し身」は日本料理なのだと考える。

もちろん、日本国内にしても、「正しい中華料理」や「正しいフランス料理」ではないものも多数ある。ラーメンなども、元来中国には存在しない。
ただし、あやまった日本料理が「これが日本食なのね」とパリジェンヌの間に広まっていくのを黙認しているのが、良いことなのかどうか。
「うまい」「まずい」の問題ではない。日本の食文化と、それに対する安全性についての問題なのだ。

JETROが認定したお店には、箸と桜をかたどった「本物の日本料理」と書かれたステッカーが与えられるという。
変わっていく文化もあれば、残さなければならない文化もある。何が「本物の日本料理」なのかを見極められるよう、私たち日本人も、日本料理を食べよう。
タグ:パリ 日本食
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2006年09月07日

紀子さまご出産に際して…

6日朝、秋篠宮妃紀子さまに男児のお子様がお生まれになった。ご無事にご出産が済んだことに、心よりお慶びを申し上げたい。

“41年ぶりの親王”ご誕生というこのニュースは、生臭い話ながら、皇室典範改正問題にも影響を与えそうだ。
今後、皇室典範が改正されない限りは、愛子さまが天皇陛下に就く可能性はなくなったが、私の皇室典範改正問題に関する考えは2006年2月11日の日記に書いた通りである。

この改正問題については、「いかにして天皇制を維持すべきか」ということに最も重く観点を置くべきである。
今回、親王がお生まれになったことで、近い将来までの皇室における「後継者問題」は解消されたが、現在の皇室典範のままでは、皇室の方々に「男児を出産せねばならない」という強いプレッシャーを与え続けてしまうことになる。
これは、好ましいことだとはいえないだろう。
皇室における側室制度が存在していた時期に書かれたものが、一夫一婦制の現在においてなお用いられている現状についても、あまり安心できるものではない。
とはいえ、旧宮家の方々を皇族籍に復帰させるという案は、現在の皇室のあり方そのものをも変化させてしまう“変なかたちの伝統文化の尊重”だと言わざるを得ない。

いかにして皇室を存続させていくか――。場合によっては長い時間をかけて、慎重かつ冷静に話し合いを深めていく必要がある。

何はともあれ、今回の紀子さまのご出産に心からお祝いを申し上げたい。


<余談>
「やはり」というか、今回もTBSは異様な力の注ぎ様で、皇室関連の特別編成を組んでいた。
この分では、今後“皇室報道のTBS”と称される日も近いのではないか? 近年、何かと疑惑の持たれるTBSだが、是非そういう方向で再生してほしいものである。
なお、朝から夕、晩まで、やっぱり三雲孝江が活躍していた。
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2006年08月15日

誰もが追悼できる施設が必要

終戦記念日のきょう午前、小泉純一郎首相が靖国神社を参拝した。
私は、首相とはいえ信教の自由が保証されている限り、宗教法人靖国神社への参拝は問題ないと考えている。
靖国参拝が、安倍晋三官房長官の言っていたような「首相の責務」だとは思わないが、本人の意思がある場合、参拝を止められるものは何もないと思う。だから、大体騒ぐような話ではない。

ただ問題なのは、日本国の主な戦没者追悼施設が、宗教法人である「靖国神社」のみしか存在しないということであり、これは考えなければならないことだと思う。
昨年の暮れにも書いたが、天皇陛下も、首相も、外国からの要人も、そして、いかなる宗教に属する、または属さない国民も問題なく参拝できるという無宗教の追悼施設を作る必要があるのだ。

それは靖国神社に代わるものとはなり得ない。「靖国で会おう」と散っていった兵士がいたことを忘れてはならない。

だから、戦没者追悼施設が「靖国神社」「国立無宗教追悼施設」の2つ、並存することになるが、「靖国神社」のみしかないという現状に比べた場合と、そういう「並存」の場合とどちらが良いかということを考えた時、私はこれは問題にはならないと思う。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑を拡充し、追悼施設を建設するべきという考え方もある。これも、国立無宗教追悼施設建設と同じ発想だと思う。

自民党の古賀誠元幹事長(日本遺族会会長)は「分祀」論を提案。
“ポスト小泉”候補の麻生太郎外相も、総裁選に向け、靖国神社の「非宗教法人化」政策を発表したが、いずれにせよ、宗教法人である靖国神社自身しか自主的に決定できぬことであり、政治の世界からの靖国神社への“働きかけ”は政教分離の原則に反するものである。

靖国神社の現在のスタンスから考えて、「分祀」「非宗教法人化」も実現するとは考えにくい。
だから、私は、国立無宗教追悼施設建設派なのだ。漢字12文字。

本論として、「9月自民党総裁選における派閥の現状」と「安倍氏支持への雪崩現象」を書こうと思ったが、長くなりすぎそうなので、本日はここらで失礼したい。
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2006年01月09日

あけまして2006

新年明けましておめでとうございます、といっても、もう1月9日です。
「あけまして」な雰囲気じゃないんですよね〜。
今年、まずは豪雪のニュース。今現在も500人以上の人が雪の中に孤立。
「我が家が倒れるかどうか」を心配しながら生活するというのは、耐震データ偽装問題もそうですが、
どれだけ当事者の方たちに精神的苦痛を与えるか、ひしひしと伝わってきます。
それと、仙台の乳児誘拐事件も無事に乳児が保護され、また犯人夫婦らも逮捕され、本当によかったです。
この事件は今後も、犯人の手口や意図の発覚など新たな展開がありそうですが、それにしてもこういった子供を狙う事件は、嫌な気持ちになりますね。
それにしても、年々正月気分が薄まっていると感じるのは私だけでしょうかね?
テレビを見ても華やかさが減ってきたような……。
確かに元日は1年に1度やってくるわけで、それはきょう1月9日も変わりはありませんし、そういう意味では「1年に1回」という重みは変わらないのかもしれませんが……。
それでは今回は、新年のご挨拶程度のこの辺で。
本年2006年が皆様にとってよい年でありますようお祈り申し上げます……といった常套句でお別れいたします。
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2005年12月30日

よいお年を

今年も残すところ、あと1日と9時間ほど。
様々なニュースが起き、メディアに報道され、そしていつの間にか忘れ去られた。

もちろん、いまだに多くの人々に衝撃を与えているニュースも多々ある。

JR福知山線脱線、小泉劇場、NHK不祥事、アスベスト健康被害、ライブドアVSフジテレビ、英同時多発テロ、中韓問題深刻化、地震・台風、米ハリケーン、普天間基地移転問題、新型インフルエンザ、広島女児殺害、栃木県女児殺害、京都学習塾生徒殺害、JR羽越線脱線……。
今年、いかに大きなニュースが多かったかが分かる。

その反面、嬉しいニュースや微笑ましいニュースもあった。

愛・地球博での経済効果、野口聡一さん宇宙で活躍、紀宮さま・黒田さんのご結婚……、
それから、宮里藍、浅田真央、朝青龍、琴欧州、千葉ロッテマリーンズ。

今年一年、ニュースに動かされた人々。人々がニュースを動かしたともいえる。
「来年こそは良いニュースばかりが…」と、今年もまた願ってはみるものの、その願いが叶えられたことは、一度もない。
悲しいかな、これが現実である。
しかし、その現実の中で私は生きていたい。
たとえ悲しいニュース、悲惨なニュースばかりが世に起きたとしても、私それらを採り上げて、自分なりの答えを模索してみたいと思う。
それは野次馬精神から来るものかもしれないが、実はそれでもいいと思っている。
要は、自分のやりたいことを、やりたいままに。
そして、ブログというのは、それが大いに出来るツールではないだろうか。

ずいぶんと偉そうなことを言ってきた。これも、匿名のなせる業か。
最後に、新年1日(日)午前10時00分放送『ザ・決断! あの一瞬!』(TX)が、それはそれは面白そうなものであることを付け加えておきたい。

勝手ながら、今回をもって年内最後の更新としたい。
それではみなさん、よいお年をお迎え下さい。
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2005年12月27日

年末の提案

2005年もあと4日。今年はまさに様々なことがあった。
このブログを始めてからまだ3か月も経っていないが、いつでも書くネタには困らないほどに、ことごとくニュースが起きてくれた。
月を経るごとに更新数が減り続けているのは、私の怠け癖によるところであると申し訳ない限りだが、
それでも、年末もいいところのこの12月27日にちょっとした私の「提案」をさせていただきたい。


靖国問題

一連の靖国問題で重要なのは、批判が中韓などの近隣諸国から起きているということだ。
かといって、では中韓の言うように参拝をやめよと言いたいわけではない。
中国について言えば、中国共産党の力を維持するために「抗日」ということで国民に一体化を促しているのは明白であり、
日本の国連常任理事国入りを阻む(阻む必要もなく不可能であるが…少なくとも現在の所)狙いも見えており、
今さらになってこんな馬鹿馬鹿しい問題を掘り起こし、外交問題にまで発展させているお騒がせなところである。
安倍官房長官の言うような「靖国参拝は首相の責務」とまでは思えないが、いち神社の参拝は、たとえ首相であっても、信教の自由に保障されるべきだ。
靖国参拝を公約とし、参拝を望む首相が、靖国参拝を中止すべきだと考えるのは、国内世論が変動したときのみでなればならない。
断じて他国のお言葉によって態度を変えるべきではない。
では、国内世論が変わるとはどういうことか。
簡単に言えば、靖国神社に祀られているA級戦犯(この言い方にも問題があるが)をも「戦争の被害者」に含むべきかどうかという議論にあるだろう。
A級戦犯の遺族らの意見はいったん無視し、分祀」という行動を起こそうとしても、靖国神社側がそれを許さない。
先日、小泉内閣では国立追悼施設建設費を予算に計上しないとの基本姿勢を政府は出したばかりだが、
しかし、国内の意見をまとめるには「無宗教の国立追悼施設」建設が最もふさわしいのではないだろうかと、私は思っている。
とはいえ、(もう一度言うが)あくまでもこれらを検討するのは他国の言動によってではなく、世論がそれを望んだときのことでなければならない。


警察匿名判断問題

猪口邦子少子化担当大臣を中心に政府の検討会がまとめた「犯罪被害者等基本計画案」に、
被害者の氏名を実名発表するか匿名発表するかといった判断を警察に委ねるとした項目が盛り込まれた。
それに、田原総一朗氏らジャーナリスト、ニュースキャスターなどが反発、
警察の捜査ミスや捜査怠慢を円滑化させる可能性があると訴えている問題である。
簡単に私の提案をさせてもらうと、まず、被害者を実名発表しないことはありえない。はじめの段続で、被害者の実名と事件概要について発表をすべきである。
そして、その後一定期間(2,3日〜1週間)おきに被害者の遺族・家族らに「今後も実名を公表すべきか否か」を警察側がいちいち選択してもらう、というかたちをとるのがよいかと考える。
事件にショックを受ける家族らに選択をしつこく迫とは、いささか酷のような気もするが、警察側が家族側に出向き選択をしてもらというのは、
後の家族の精神面を考えても、きわめて妥当で、余裕の持てる方策ではなかろうか。


いささか持論が過ぎたかもしれないが、年末だということで許していただきたい。
12月中にもう1度ぐらい更新したいと思う。例の怠け癖が発動し、次回更新が1月にならなければよいが……。
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2005年10月19日

プレーオフ

おかげさまで!
千葉ロッテマリーンズ、見事パシフィック・リーグ優勝!!
(1日遅れですが…)
「日本にやり残した仕事がある」と、10年ぶりに日本・ロッテ球団監督に再就任した
ボビー・バレンタイン。10年越しの悲願、そして球団としては31年ぶりの悲願達成に、思わず感涙してしまいました。

そして、惜しくも2年連続で敗退したソフトバンク(去年はダイエー)ですが、
去年導入されたプレーオフ制度によって、従来ならば優勝できたところを、ロッテに敗れました。
(そのおかげでロッテは優勝できたのですが)
これは、私がロッテファンだからということでではないのですが、
プレーオフという制度には確かにいくつかの矛盾はあるものの、
もはや「制度がどうだ」とかいった問題ではないのではないでしょうか。
このプレーオフ制度がゲームを面白くしているのは確かだし、
勝率が5割をきっているチームが優勝もできるという矛盾も確かではありますが、
もはや勝負は時の運――実力が発揮されるのも、時の運――といった、
勝負事の、本来の楽しさを示してくれているように思います。
今後、一体どういったかたちで、この制度が変えられていくのか、また続けられるのかは分かりませんが、
この制度によって、パ・リーグ内、さらにはプロ野球界も刺激を受けていることでしょう。
そして、その(ある球団にとっての)不条理」が生むゲーム結果、というものが
今後、受け入られてくるのではないでしょうか。

いやぁ〜、とにもかくにも、日本シリーズが見逃せませんね!!
posted by Author at 15:51| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日日雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月07日

世にも奇妙な「世にも奇妙」の現実感

今月4日(火)に放送された、
『世にも奇妙な物語 2005秋の特別編』(フジテレビ)。
年々、サスペンスというか、じわじわと来るような怖さの話、
もっと言えば「斬新」ではない作品が増えてきていると思うが、
それはさておき、ストーリーテラー・タモリが気になる。
私はタモリのファンだが(2日の日記を見てもらえば分かると思う)、
しかし、本当に残念ながら、タモリの必要性が感じられなかった。
「そんなの、はじめからそうだ」という人がいるかもしれないが、
今回は、特に「謎の男=ストーリーテラー」という感じが消えていた。
なにしろ、お台場にあるナントカ博物館(科学館だったか)の展示ホールからの出演である。
現実に存在する空間に、サングラスの男がひとり。
このとき、もはやこのサングラスの男は、この世の中で生きる人間である。
どうせなら、真っ暗闇の中で突っ立って話してる、とかのほうがまだ良かった。
だって、あれは本当に奇妙でもなんでもなく、すっかり現実の世界だった。
そこまでして、タモリを出演させる必要性があるのか。
タモリ好きの私をもこう思わせてしまうスタッフの罪は、重い。
これは本当に不謹慎な話だけど、タモリの死後(それとも引退後、か)、
この「世にも奇妙」のストーリーテラーというのはいなくなるのではないだろうか、と思う。
とっさに「稲垣五郎が代替出演しそう」などと思ったが、
正直言って、あの「奇妙な話」たちがそのまま続き、
その間をつなぐストーリーテラーの喋りがなくなっても、
それはそれで番組として十分すぎるほどに成立するのではないだろうか。
一応、私もタダで見ているもの(番組)にケチ付けるほどまで心が穢れてはいないと思うのだが、
しかし、本当にタモリ好きとしては悲しいタモリの姿であった。
posted by Author at 20:35| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 日日雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月01日

はじめまして。暇ですか?
さて、秋になると人間って余裕が出るのか、暇になるのか、「新たにブログでも始めるか」と思い立ったら吉日です。
さぁて、なにを書こうか。
決めずに書き始めたらいけないですね。
入り口は広めに、ということで、困ったときには出しておこう、季節の話題です。
秋という季節がやってきました、夏が終わって。
きょうから10月、Octoberです。
春は花見、夏は花火、秋は月見。
昔から伝わるこの伝統行事ですが、特に秋の月見は地味です。
お団子を食べる。月を見る。おしまい。
みたいな。
ましてや、月を見ることに何の意味も感じられない現代です。
本気で月を見たい人は、「夜空の神秘」とかなんとかいうDVDブックでも買って、見るでしょう。
暇だから月でも見よっか? などという会話は通用しません。
そろそろ、この秋の月見の伝統を発展させる時期ではないでしょうか。
例えば、米のハロウィーン(「お菓子を出せ」といって近所をまわる)を日本風にアレンジして、
「お団子を出せ! さもなくば、お前を殺す」などという感じで。
ただまぁ、「お前を殺す」というところが引っかかりますよね。
ご近所さんと裁判になっても困らないように、今から弁護士と相談をしておきましょう。

日本弁護士連合会ホームページ
posted by Author at 14:56| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(2) | 日日雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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